今年は出雲と熊野へ行くことが出来ました。どちらの神様もなかなか曲者の神様で、力も強いけれど来た人間に対して科す制約も強いものがあるような気がしました。
神様というのは世界的に言えば「精霊」のようなものなのだろうと思うのですが、土地や時間と結びついているので強い「呪むでもあるように思います。
人が喜んでその前に立つのは霊的に盲目の状態だからであって、もし目が見える状態なら相当覚悟をして立つだろうと思います。
何かを成すときには対価を等しく払わなければならないというのは万国共通のルールであり、真理だろうと思います。
神様に願い事をするなら、自分自身にも厳しく身を慎んで自然環境に為になることをするとか約束しないとダメなんだけれど、現代人の方達はそんなことを考えているのでしょうか?多分、神様というのは与えてくれるだけの甘い存在だと思っているのかもしれません。
私はだから出雲でも熊野でも出来る限り「願い事」なんていうものはしないようにしました。だって自分を厳しく律するなんていうことは並大抵の覚悟で出来ることではないですからね。
神様は強く叶えるものでもありますが、逆に激しく律するものでもあることを知ってほしいものです。

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