熊野へ行って何か変わったかな?と考えてみる。神様というのが、自然の密度と関係深いことがわかったのは収穫ですが、自分の中のチャンネルが増えたようには感じません。
ただ、一つ何かの赦しを得たような気がします。伊勢神宮のときは私ではなくて家内が呼ばれていた感じになったのですが、熊野は間違いなく私も呼ばれていたようで、ただもう一度個人的には一人で行かなくてはならない感じが残っています。
神様というのは仏様と違って一対一で対するモノなのだと思います。家族や集団で接するとプイとあちらを向いてしまうようなところがあるようです。
もう一度、今度は一人でおいで。そういう赦しを得たような気がします。熊野詣というのは何度か行くことになってしまうというもののようですが、今度は一人で行きます。行けるかなぁ・・・。

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