サトリという妖怪のお話は知っておられる方もおられるでしょう。大抵は山中に住む妖怪で人の心を見透かしてしまう能力を持つサルに似た姿の妖怪です。
伝説では
桶を修理中の桶屋の前に現れ、桶屋の心を読んで弄ぶが、恐怖にかられた桶屋の手元が狂い、外れた箍が覚の顔を直撃、「人間とは考えても居ないことをやらかす恐ろしい生き物だ」と慌てて逃げる。
というのが有名ですが、この逸話についてもう少し深く考えてみる必要があるような気がするのです。
偶然、モノが飛んでサトリに当たってサトリが驚いて逃げ出すということなのですが、これはそのまま捉えるとどうにもおかしい。
本当は「人の心」というものの「妙」というものが根底にあるのではないだろうか?と思ってしまったのです。要するに「人の心」というのは人には決して全て理解できるものではないということです。思いもよらない働きをしたり、変化をしたり、成長をしたり、捻じ曲がってみたりするのが「人の心」というものの「妙」というものだと思うのです。
仏教修行者やあらゆる哲学者や宗教者や心理学者が「人の心を解き明かした」というような意見を述べたとしたら、それはとんでもない間違いなのだということをサトリは言っているのではないだろうか?と思うのです。
人の心を完璧に理解したと考える事は間違いだ、人の心は永遠の謎だと理解するほうが正しいと考えるべきだ・・・とサトリは言っているような気がしてなりません。ある方の前世を霊視していて、こんな考えがメッセージのような形で伝わってきました。そうかもしれないと考えている私がいます。

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