心の中にいる「私」というのは強く守られています。現実界の出来事にはちょっとやそっとでは左右されないようになっているはずです。
しかし、人の「死」や「生」にはどうしても動揺します。それは魂が別の次元へ転移することを目の当たりにするせいかもしれません。だとすると心の中の私は随分、この現界に支配されている割合が強いようです。
魂というものが永遠不滅の存在で、私達は「死」によって消滅してしまう存在ではないということは良くわかっているのですが、それでも「生死」に動揺するのは心の底にまだ不信感が残っているせいなのでしょう。
昔から東洋の僧侶や修行僧達が瞑想や修行を繰り返して、そういう心の中の不信感を払拭しようと努力してきたのは良く知られていることです。
そして、今、霊性の時代がスタートしています。普通の人でも、心の中に「霊性の気付き」を感じられる時代です。もっと皆が瞑想や座禅などで、心の中の「愛」に気付いて魂の根源が「愛」なのだということに理解が深まれば、あらゆる世界の問題の減少していくことになるのかもしれません。
これは私の勝手な意見ですから、誰に対しても強制したり説教しようなんて思ってはいません。どちらかというと自分自身に言い聞かせているような意味合いが強いです。
心の中の旅は少し深い部分に差し掛かってきました。「愛」という核が視えてきて、自分自身のルーツも少しずつ分かってきました。役割というものも何となく理解してきたのですが、「愛」を実践し、心の真なる安定を得るまでには至っていません。
自分の肉体という毛布の下でもぞもぞとまだまだ私の心の中の私は修行を続けていくようです。

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