何でも信じ込んでしまうことの愚かさというのを、私は怖れます。この世に信じきっていいものは肉親の愛くらいしかないのかもしれないと思っています。
勿論親友との友情のように信じきるものがあってもよいとは思いますが、生まれつきの性格なのでしょう。親友の心さえも盲信は出来ていない自分がいます。
霊視の中で出会う神様や仏様さえも盲信はしていません。自分自身の霊視さえも盲信はしていません。冷静に客観視している自分が必ず右肩の上あたりにいるように思います。
この神様は本物の神様なのか?と疑って見ている自分がいます。何故なら神に似た能力を発揮する真逆の存在もいるからです。この現代の世には、まがい物が多すぎます。霊能者にしても、神様にしても、新興宗教の教祖のように信じきっている人々の集団をバックに人を信じ込ませようとしているモノ達が多くいます。
「利」に関わるものがそこに僅かにでもあれば、物事は疑ってかかるべきだろうと思います。
だから、スピリチュアル目的のお客様であっても私は身体のケアを最優先で施療します。出来る限りその人の筋肉・骨格の歪みを正して、「氣」の流れを良くしてあげようと全力を尽くします。その事でのみ私は「利」に関わって行きたいと思っています。スピに関することは、心のケアだと考えています。だから私を「盲信」なんかはしてほしくないと考えています。参考意見の一つくらいに考えていただければいいのです。
盲信するということは、心が弱くなっている証拠です。心を健全に強い状態に保つということは、身体をも健全に保つために必須の条件です。何か一つの健康法を盲信してしまうということは愚かなことです。幾つかの健康法を試していきながら、その時の自分の状態を冷静に見つめながら健康というものを追求していくことがある程度正しい生き方だと思います。決して「一つのもの」に囚われないようにするべきだと思います。
こんな事を書きながらも、私は自分のこういう考え方自体も疑っています。これが正しい考えであるはずはないと心のどこかで考えています。きっと、また違う考えもあるはずだし、そちらが正しいということだってあるはずだろうとも思っています。
「暫定的」に自分の考えを認めながら生きているというのが、私自身の考える正しい生き方なのかもしれません。

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