「氣」というのは、目に見えないものなので表現が難しいのですが、「水」に例えることが出来るみたいだなと感じています。
先日施療させていただいたお客様は他人から受ける悪い「氣」を「泥水」という感覚で受けていました。泥水を頭から浴びせられていては嫌になるから、普段なら頭頂部の天穴から吸収している身体のシステムを逆転させて、足裏の地穴から「氣」を吸収する形にして自己防衛しておられたようです。
でも、その内そういう逆転システムに身体が耐えられなくなり、「氣」の流れが停止してしまっていました。そこで、地穴を開き天穴までを促通させて、「氣」を補充して流れを作り施療を終えました。
綺麗な自然の「氣」は湧水のように綺麗で峻烈な感覚で捉えられます。また、人を癒そうとする人の「氣」は温かな温水のような感覚で捉えられるようです。遠隔気功の「氣」はきっとミスト状に拡散していくような感覚で捉えられるのかもしれません。
身体のシステムが歪んでいたり、病んでいる心が発する「邪気」というものは色々な「色がついた水」のように感じられます。自然な状態の「氣」は透明なもののように思います。
「氣」は現実の水に溶け込みやすい性質を持っています。だから、施療ごとに私は両手を丁寧に流水で洗うようにしていますし、邪気を受けすぎたなぁと感じられるときにはお風呂で身体からお湯の中へ邪気を逃がすイメージクリーニングをするようにしています。最近はお客様の邪気は受けなくなりました。自分自身の存在を「空」にする訓練をいつのまにか繰り返していたようで、「空」である心に邪気は反応しないで通過していってしまうようです。
「氣」を水のようなものと感じているのはまだまだ浅い認識のように思います。まだ、修行を続けていかなくてはならないと感じています。「氣」は「命」そのものだと思っていますから。

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