ただいま帰ってきました。
パック旅行だったので、大型バスに中高年の団体客の皆さんと同行しました。大変騒がしい方達だったけれど、何だか「お伊勢参り」という昔からの行事のよすがが偲ばれて、何だか気になりませんでした。
北陸から向かうと途中「お多賀さん」の近くを通ります。多賀大社はこれから行く伊勢神宮に祀られている天照大神のご両親の神様イザナギ・イザナミの両柱がおられます。
なんとなく、お二人が私に乗り移られたような気がしたのですが・・何故ならその場所の事も多賀大社の事もまるっきり忘れていたのに、ふと見つめた方向に多賀大社があることがわかり、招かれているような気持ちになったものですから。
まぁ、そんな事は置いておいて伊勢神宮に到着。この日は猛暑日。白い靄がかかったような参道を宇治橋を渡って正宮へ向かいます。とてつもなく大きな巨木がさりげなく何本も立っています。木陰になっている参道の部分は涼しい。途中、鶏の群れに遭遇しました。「神鶏」と呼ばれ、放し飼いにされているようです。酉年生まれの私としては何となく親近感を覚えました。
さて、大変な参拝客の数でしたが正宮前に到着。行列が出来ています。そして、ゆっくりと石段をあがり始めたのですが、ここで家内が変な事を言い出しました。「この石段の石、柔らかくない?」「えっ?」いや、びっくりしました。家内は霊感なんて全くない人なんですが、正宮前の大きな石の石段の石がふにゃふにゃすると言うのです。不思議なことです。
私は伊勢神宮では招かれた人が来ると正宮にかかっている白い垂れ幕がひらひらと揺れ、跳ね上がったりすると聞いていたので、そちらに気が取られていました。石段の下からその白い垂れ幕を見ると、凄い勢いで跳ね上がっていて、ふっとイザナギ・イザナミの両神がそこから飛び込んで行ったような気がしました。
順番を待って正宮前にたどり着くと、垂れ幕が今度は変な動きをしています。裾の方だけ中の方に曲がりぴくぴくと変に揺れているのです。幕そのものは全く動いていないのに、裾の方だけ・・・。
でも、神の気配は感じませんでした。親子神して奥へ引っ込んでお話でもしているのでしょうか。
御参りを終えて、正宮横に出てくると正宮の中と外にまたがって生えているこれまた一際大きな杉の巨木があったので、ふと手を添えると「よくまいられた。」という声が心に伝わってきました。そして、正宮横の式年遷宮の御敷地を何気なく視ると、舞姫(伊勢では巫女たちをこう呼ぶそうです。)たちが寿ぎの踊りを舞い踊っているのが視えました。何て楽しそうに踊っておられるんだろう・・・何だか自分の顔までにこにこしてしまいました。
そして、参道を戻る道すがら今度はやけに「美しい女性」が目に止まり始めました。これは私が助平心を起こしたわけでは全くなく、自分の心に問いかけてみてもそういういやらしい感じが全くありません。ただ、綺麗な女性の参拝客の方達の方に自然と目線が向くのです。
そして、聞こえてきたメッセージ。アマテラスからのメッセージ。
「我、ここに依りて、ここに在らず」えっ、そういう事なの。
私なりの解釈なのですが、「ここに依りて」というのはアマテラスが参拝しにくる女性客を選別して憑依しているということ。分け御霊という神事がありますが、アマテラスは自分の分霊を女性たちに振り分けているらしいのです。そして「ここに在らず」ということは天照大神の本体はここにはいないということ。どうも、天皇のそばにおられるらしいと感じました。
古からの大きな神のシステムのようなものを感じました。天皇家からの斎宮の派遣ということがあって成立しているのである伊勢神宮では、女性たちにアマテラスの分霊を振り分け、日ノ本の国を守ってきたのかな?と思いました。
昔から伊勢神宮には男の参拝客が多かったらしいですが、それは女性の接近を制限する意味もあったのかもしれません。参拝すれば、女性は霊的に格段に強くなる可能性があるわけです。
何だか大きな神霊界の仕組みの一つが判明したような気がします。もちろん、宿に着いた後でイザナギ・イザナミの二柱の神々は私の所に戻ってこられて帰り道に多賀大社の近くを通った際に戻っていかれました(そういう雰囲気を感じたのです、錯覚かもしれませんが・・)。
何だか霊的に特別な旅になりました。その霊的な部分だけをとりあえずご報告します。


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