先日、NHKの「爆笑問題の教養」という番組で爆笑問題の二人が京都大学の教授陣と学生達を相手に「独創力」というテーマで議論していました。
私にとって「独創力」「独創性」というのは小説家になるのにどうしても必要な資質の一つとして思っていたものです。小説家になるという夢はとっくの昔にあきらめていたけれど、彼らの議論はまぁ面白いものでした。
哲学者の西田幾多郎の「善の研究」なんてものの話も出てきて、「滅私」ということが「独創力」を生み出すのに必要なんていう議論になっていきました。
「滅私」ということは自分というものをどんどん無くして行くというということ。第二次世界大戦のときには軍部の思想教育に都合よく使われてしまった考え方らしいですが、私の施療のときにも「滅私」という事はいつも為されている行為です。
自分を「空」にしていくと、そこに患者さんの「氣の情報」が流れ込んできます。その中には身体や心の情報と過去世の情報とかも含まれていて、もっと突っ込んでいくと人類全体の原意識というような大きな情報野が視えてきます。
自分一人のオリジナルを追い求めていくと視えてくる「人」という種の大きな存在。宇宙に匹敵するほどの大きな情報の海は人の意識の底にいつでも存在しているようです。でも簡単にはアクセスできないようになっている存在でもありますね。きっと、普通の意識しかもたない個人にとってはとても危険なものなのだろうと思います。この「人の原意識」というものは。
そう言えば、爆笑問題の太田氏がこんな事も言っていましたね。「太陽というのもあんなに有り難くて、危険なものはない。」って。確かに太陽のおかげで地球上の生命は生かされているわけですけれど、ちょっとでも近づけば太陽風や放射線や熱線で殺されてしまう恐ろしい星でもあるわけですね。ということは、「太陽」も「人の原意識」というものも、そことの間にある「空間」「距離」というものがとても大切なものなのかもしれませんね。

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