私の父は次男なので、お墓を自分で作らないといけません。それで生前にお墓用の土地だけは購入してありました。そして、亡くなったので急遽お墓を作成しなくてはならなくなりました。
母は葬儀の後、墓苑とそこを管理する石材店の方と話をして墓石のデザインや掘り込む文字を決め、四十九日の納骨までにお墓を作ってもらうことにしていました。
昨日は出来上がったお墓を確認に行きました。
金沢の北にある丘陵地の谷間にある寂しい場所に墓苑はあります。
冬の寒さに枯れ切った草地や田んぼに囲まれて、ひっそりと多くの墓石が並んでいました。父をこんな寂しいところに一人置いていかなくてはならないのか・・・なんて考えてしまいました。
でも、お墓に入るのは焼け切った父のお骨だけです。まさしく、「千の風になって」の歌詞の通りで、父の魂はお骨に宿っているわけではないので、この寂しい場所のお墓に入ってもらうのもしょうがないと割り切りたいと思います。
でもなぁ・・勘違いしてお墓のそばにずっと佇んでいる霊魂もいるという話ですが、こんな寂しいところだとそういう霊魂も寂しすぎていないかもしれないなぁなんて思いました。
これからはお盆やお彼岸の前後には、このお墓の掃除や管理のためにやってこなくてはなりません。長男としてのお勤めだということです。父の魂は未だに母の身体の中に入ったままです。時々出て家の中をあちこちウロウロしているようですが、四十九日が近づいてそれも少なくなってきました。本格的にあちらへ行く準備が出来つつあるようです。どんな信仰や教育を受けた人も、どんな性格の人もこの幽命界に漂う時間というのは決まっているようです。事故や事件で亡くなられて強い未練を残していられる方などを除いて、一般的に四十九日を過ぎれば一旦は皆、あちらの世界に行ってしまわれるようですね。ありがたいことだと思います。


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