今、私のプロフィール表紙に使っている写真の幼い頃の私が立っている場所は金沢の彦三(ひこそ)という地名の場所で、私の両親の買った最初の家があった所の向かいの家の前です。
彦三という地名は昔、彦三○○ざ衛門とかいうお武家様が住んでいた所だったことから付けられた地名だそうです。小さな家で前の道はゆるい坂になっていて、正面にはT字路になる道が西向きに延びていて、我が家には夏の暑い西日がまっすぐ差し込んできました。家の裏には小さな庭があって、小さな池が作られ、茗荷が植えられた花壇もありました。一坪ほどの小さな庭でした。茗荷が出来ると我が家の食卓に並び、池では金魚やら、鮒やら、亀やらが飼われていました。庭の横には後から増築された建物部分があって、一階は母の荷物や衣装などが仕舞われていて、二階は私と弟の勉強部屋になっていました。二段ベットが部屋の半分くらいを占めていて、窓から中学生くらいの私は屋根の上へ忍び出て、遠くの卯辰山なんかをぼんやりと眺めていたものでした。
その頃は家の壁に断熱材なんかが使われているわけではないので、冬は寒く、夏は暑くて、大変生活しづらい家でした。父は病弱で、母は生活を支えるために「貸本屋」「ヤクルトのおばさん」をし、ついには「雇われ女将」として水商売を始めました。そして、母はとんとん拍子に出世して、金沢の繁華街に大きな料亭を開業し、レストランも始め、アパートも購入し、高度経済成長の波に乗って大忙しに働き続けました。そういう時代を彦三の家は見てきたのです。
でも、私の心の中にある彦三の家は家族がしっかりと固まって生きていた家でした。一番家族がお互いの息がかかるほど身近に生きていた家でした。そういう家の記憶というのは、とても大切で懐かしい宝物なのかもしれませんね。


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