まぁ簡単に言ってしまえば「武」という文字は「力」を「止める」という意味があるのだそうだけれど、「武器」となるとそんな簡単なものではないように思います。
父は日本刀を集めるのが好きで何本か残していきました。見ていると、とても強い力を秘めているのがわかります。これを昔の武士は腰に常に差していたのだとすると・・・相当強い意志が必要だったと思います。弱い心で持っていたらたちまち狂気に襲われて刀に振り回されてしまうだろうと予想されます。
自分の心を刀に負けない強い力を持ったものにしておかないと、この「武器」というものは人の心を簡単に支配してしまうだろうと思います。サムライというのは「自律心」の塊のような存在だっただろうと思います。現在でも警察官の方達は拳銃という「武器」を携行しておられますが、これも強い自律心がなければ出来ないことだろうと思います。
私などは人を傷つける、殺傷するという立場の真逆の立場にいますから、「武器」というものの持つ恐ろしい意味を深く考えてしまいます。物事には両面性というものがあるけれど、「武器」の両面性というのはありえないように思います。抑止力としての「武器」なんてありえないと思うのです。
本質的に「武器」というのは「力」を呼び込みます。この力というのは必ず暴力に繋がり、戦争に繋がるような気がしてなりません。
世界中から「武器」という「武器」が無くなればいいと心から願います。芸術品としての日本刀なんていうものもいらないと思います。そして、人の心からも「武器」が無くなればいいと願います。「力」を渇望する人の心の「欲」というものが無くなればいいと思います。その「力」は「武器」や「お金」というものを使って「人を支配する」欲望に繋がっていきます。
そういうものが人の心から消えて、「武器」の無い世界が訪れてくれることを心から願ってしまいます。

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