浄土真宗の教えって良くわからなかったんですよね。ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏って唱えているだけで・・、後はお葬式や法事や何かで日々の行事の中にあるだけで、家の中には立派なご仏壇があって、じいちゃん・ばあちゃんが毎日お経さんを読んでいる感じで・・・・。
後、お寺さんの前の掲示板には訳のわからない説話の一文が書いてあって、これって自己中なだけじゃないの?って思っていました。
仏教系の雑誌や本を読んでも、何だかお経の文章の解説が書いてあるだけで何の事やら、結論も書いてないし、ただ名号(南無阿弥陀仏)を唱えなさい、唱えなさいと繰り返しているだけで・・・何なのこれ、昔の人はこんなのでわかったのかな??て思っていました。
最近、少〜〜しだけ判ってきました。
つまり、何もかも自分を打ち捨てて仏様にすがりつきなさい!ってことらしいです。
南無阿弥陀仏っていう言葉の意味はどうもそういうことらしい。
自分というものは最低最悪のどうしょうもない存在だということを自覚して、「私は最悪の人間です、どうか仏様お助けください。」と言いながら日々過ごしていれば、そういう気持ちに心の中が目一杯充たされた状態になったら、それだけで救われますよ、ということらしい。
それならそうと、こういう風に書いてくれればいいのに何であんなに難しく書くのかな?多分親鸞聖人や蓮如上人といった立派な方達を立派なままにとてつもない高みに持ち上げておきたいと思った後世の人達がこんな風にわかりにくい仏教にしてしまったんでしょうね。
まぁ究極的に人を救うというのは、こんな所まで考え方を単純明快にしなければならなかったのだろうなぁなんて、今の所ここまでの理解の段階で考えています。また、考える機会があったら仏教について考えてみたいとも思っています。

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