小泉八雲の本を読み終えた。「新編・日本の面影」という本です。
明治の初期に日本を訪れた外国人の目から見た古き日本の島根県近辺の人々の姿が大変興味深く描かれていました。
何より驚いたのは当時の人々の「お日様」や「お月様」に対する信仰心の篤さです。八雲が宿で見ていると、近くの松江大橋の上で日の出の時刻に多くの人が橋の上から、お日様に向かって「拍手(かしわで)」を打つのが限りなく聴こえてくるわけです。ほとんどの人が「お日様」を拝むことを日常の常としていたのです。
「お月様」に対しても季節の満月の日には、近在のほとんどの人が「お月見」を楽しみ、「盆踊り」を月の光の下で楽しむのですが、この当時の盆踊りには地域性がとても強く出ていて特殊な様式美のようなものが感じられました。
彼は日本の様々なモノや行事や人々の中に「言い伝え」や「神話」が付随していることを「日本人の心がとても美しく、素直だから」だし「自然を敬い、自然から学ぶことを幼いころから躾けられている」からだと思ったようです。
自然の万物が全て意味や理由があって、しかるべき形や姿をしていること。そうなるべき意味があって、働いていることを明治時代の日本人は皆が知っていたと感じていたようです。
彼は「地蔵菩薩」や幼いものたちの美しさにとても惹き付けられていたようでした。彼の見えない左目には、自身の幼い日々の苦しみや辛さも宿っていたことでしょうが、その目が視た日本の心は「幼い心の母への憧憬」であり、加賀の潜戸(かかのくけど)への探査行などに見られるのは「人の心の暗部にも必ず射している一筋の日の光」が「母の愛」であるという認識であったようでした。

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