今、巡っている寺院群は金沢の北の街道沿いに建ち並んでいます。これってきっと北からの攻撃に対して砦の役目も果たしていたんだろうなぁと思いました。
それぞれのお寺に水場があって(池や井戸)、しっかりした土塀に囲まれて山門なんかも小さなお城並みに建てられています。
金沢の南の街道沿いには寺町というこれまた多くの寺院が群立した地域があって、多分これも攻め込まれれば砦として使われるのだろうと思いました。
加賀藩というのは外様大名の中では唯一無二に大きな藩だし、前田家の歴代当主はいつでも幕府の大軍と戦が出来るように考えていたのかもしれません。金沢の背後は白山や医王山といった高い山に守られています。これが南の街道を一本の細い道のようにしていますから、南の道はそこだけを死守していれば結構戦えます。
北も立山連峰が聳えていて、北の街道を細くしています。そして、雪国ですから冬になれば攻めてくる大軍も戻らざるを得ません。守っていくにはとても便利な土地だったのかもしれません。
寺院群を巡っていると、そんな昔の戦人の思惑が感じられて面白いというか・・・でもこれらの寺に全て俳人や狂歌師の人達や、生け花やお茶の先生たちが集っていたり、謡曲や能楽に縁深い人達のお墓が沢山あったりして、文化面でとても奥深い世界が広がってもいて、昔の武家や商人達が生活をとても楽しんでいた名残のようなものも見えます。
現実の厳しさと人の夢や楽しみという二つの面がこれらの寺院群には見られるようで面白い限りです。

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