ども、軍艦と聞くとネギトロが頭に思い浮かぶ者です。(*_*)
いやいや、ここはやはり長崎県人の端くれとして軍艦島には足を踏み入れにゃいかんやろと急に思い立った次第でございます。
軍艦島は正式には端島(はしま)と言い
南北に480m 東西160m 周囲約1,200m 面積約63,000uの本当に小さな島だ。
海底から上質の石炭が取れると言う事でこの小島に高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦『土佐』に似ていることから『軍艦島』と呼ばれるようになりました。
ブタは当然その存在を知ってはいたものの
野母崎から見る程度で上陸した事はありませんでした。
最近は世界遺産として登録しようと活動している団体もあるようで全国的にも注目されているそうですね。
ブタの両親は端島が全盛期だった高度成長期(昭和30年代後半)に長崎市内に住んでいたので、当時の事を良く覚えていました。
お金を稼ぎたかったら端島へ行けばなんとかなると言われていたそうです。
炭鉱の労働はそれはそれは過酷で命を落とす人も少なくなかったそうですが
三種の神器と言われた家電(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)の普及率は全国的にも高く
この小さな島に夢を求めてたくさんの人たちがやって来ました。
最盛期には5,300人もの人が生活したそうで当時の東京の9倍の人口密度にまで達しました。
しかし、やがて時代は石炭から石油へと移り変わり
1974年1月に閉山を迎える時には人口は2,000人弱まで減少。
そして閉山からわずか三ヶ月後の1974年4月に無人島になったのです。
島まで案内してくれるクルーザー『ブラック・ダイヤモンド号』の中でそんなガイドを聞きながら上陸。
波が高い時は接岸出来ない時もあると言われたのでちと不安でしたが
今日は風も穏やかで良い天気だったので無事初上陸する事が出来ました。\(^_^)/
遊歩道を歩きながらガイドさんが当時の話をしてくれます。
24時間3交代でフル稼働していたため灯りが絶える事はなく『不夜城』とも呼ばれていたこと
ダンスホールや映画館もあったこと
強制労働とも取れるような過酷な労働内容…
ブタの両親はもっと昔の端島の…韓国人を不当労働ともとれるような現場環境であったことやなんやらかんやら…を話してくれました。
無人島となった今、この廃墟群がブタに何かを語りかけてくれます。
熱い炭鉱マンが豊かな日本の一部を築いてくれたんだなぁ。φ(゜゜)ノ゜
そして栄華は永遠ではないことなんかも教えてくれたりもしたりして。
…軍艦島クルージングは色んな会社でやっているようです。
今回ブタは伊王島から乗ったのですが、この『ブラック・ダイヤモンド号』が一番オトクな感じがしました。
http://www.takashima-kaijou.jp/
ちなみに今回は
伊王島〜軍艦島
3,300円 +上陸料300円でした。
天候によっては上陸出来ないことも多々あるようなので今日は本当にラッキーだったなぁ。
以上、ちょっと長くなったんで今日はこの辺りで失礼しま〜す。(^_^;)/~~


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