音楽テクニカルライター布施雄一郎のポジティブなネガティブ語録/独り言編
〜YMOとホークスと、音楽と愚痴のなんやかんやの毎日〜
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2011/3/30
帰省の疲れと、昨日の2本の取材の緊張感と、
そして解放感で、帰宅後(正確には相方の就寝後)に
祭!( ̄w ̄)ぷ
を、はからずも開催してしまい、
PCの前でコタツで撃沈。
起きてきた相方に促されて、
たぶん5時過ぎくらいに布団へ。12時起床。
*****
福岡に帰省した時に、
駅ビルがリニューアルオープンしたばかりの博多駅を、
ちょこっとだけ歩いてみました。
その際に目にしたのが、
九州新幹線全線開業のイベントスペース。
正直に言って、今回の震災で、
すっかり忘れていました。
新幹線がうんぬんの話しはちょっと置いといて、
この開業日に合わせて、各地域でのいろんなイベントが
予定されていたんだそうです。もちろん、地元住民参加のイベント。
それが、開業日前日の3月11日に起こった
東日本大震災で、すべて吹き飛んでしまいました。
もちろん、開業イベントはすべて中止。
このイベントを楽しみにしていた人、準備に奔走していた人、
イベント出演に際して練習を重ねてきた人。
とても残念だったことでしょう。
その中止になってしまった中の1つに、
開業日に合わせて製作されたJR九州のCMがあったんだそうで、
そのことを、帰省中に手にした西日本新聞で知りました。
【西日本新聞】震災で自粛の九州新幹線CM 感動の声相次ぐ
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/233892
そのCM、ようやく見れました。
九州人だからなのか、震災があったからなのか、
笑顔から遠ざかっていたからなのか、何だか分かりませんが、
泣けました。
◇YouTube:祝!九州九州新幹線全線開CM180秒
VIDEO
2011/3/29
ほぼ30分押しのMONOBRIGHT取材現場から
猛ダッシュで移動!
18時30分からは、
都内某所で、Logic Systemこと松武秀樹さんと
キーボーディスト/プロデューサー/作詞作曲家である
清水信之さんの対談取材。
取材内容については、まだちょっと公表できませんが、
このお二方にお集まりいただいたわけですから、
なかなかのビック・プロジェクトには間違いないわけで。
それにしても、ほぼ24時間前には飯塚の実家で、
今でも貼ってあるYMOのポスターを眺めながら
あ〜、この部屋で毎日YMOを聴いてたよなぁ〜
と感慨に耽っていた翌日に、
そのご本人にインタビューしているというこの状況に
頭クラクラ、みぞおちワクワク。
*****
あ、念のために説明しておきますと、
松武さんというのは『4人目のYMO』と呼ばれた
コンピューター・プログラマー兼マニュピレーター。
そう、初期のYMOのステージで、巨大なモジュラーシンセ
(通称タンス)を操作していた方なわけです。
ま、それは映像を見ていただけが一目瞭然で。
◇YouTube:YMO『Riot in Lagos(Budokan 1980)』
VIDEO
一方の清水さんは、同じ時代に数々の名曲を生み出した
作家でありアレンジャーさんでもある名プロデューサー。
特に僕の年代では、EPOさんとのコンビが強烈に印象に残ってます。
そんなお二方が揃って参加したのが大貫妙子さんの82年のツアー。
その青学学祭でのステージで行われたのが、昨年末にCD化された
伝説のライブ『Electric Carnaval 1982_Logic System』
というわけです。大村憲司さんや加藤和彦さんも参加。
詳細は、アルバムの特設ページをご覧ください。
★Electric Carnaval 1982_Logic System
http://bridge-inc.net/logicsystem/
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と言うことで、話しの趣旨が段々逸れて行っちゃいましたが、
いろんな意味で、僕的にひとつの記念碑的な取材でした。
#この取材後に、清水信之さんが友人のベーシスト、
#(本職は占星術師)銭天牛氏と一緒にバンドをやっている
#という衝撃の事実を知るわけですが…( ̄w ̄)ぷ
お二方とも、お忙しいところお時間いただき、
大変ありがとうございました!
この記事を掲載するメディアは、
公表できるタイミングが来ましたら、
このブログでお知らせします!
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すごく美味しいお酒でした(^◇^)
2011/3/29
3時就寝、8時30分起床。
今日は取材2本。
まずは16時に乃木坂。
月に何度も行く取材場所。
いつもは有楽町から日比谷線に乗り換えるのに、
気付くと新橋でJRを降りてしまって、
銀座線に乗ろうとしてまった!
たまたま銀座線の改札でSuicaが反応しなかったので、
その瞬間に我に返って有楽町に行き直しましたが、
いやはや、たった3日間東京を離れていただけで
まさか電車を乗り間違えそうになるとは。
そんだけ久しぶりの地元でユルユルになってしまったと
いうことですね。気を引き締めなければ。
*****
ということで、1本目はMONOBRIGHT。
5人体制になってからは、ライブを含めると
もう5〜6回目の取材となりますが、
今日は5人体制となって実は最初の制作作業であった
4枚目のアルバム『ACME』について。
ファンの方ならご存知でしょうが、
MONOBRIGHは、この4枚目のアルバム制作から、
ヒダカトオル氏が参加しました。いわば初仕事。
なんだけど、
対外的には、まだその時は完全シークレットで(僕も知らなかった)、
10月10日に、その4枚目のアルバムの先行試聴会が催されて、
その数日後に3枚目のアルバムが発売されて、
それでヒダカ氏の加入が発表されて、
ミニ・アルバムが2枚発表されて、
そしてようやく、5人体制初仕事の4枚目のアルバムが
発売となるわけです。
なんだこの時系列。
ということで、何だかんだ言って、これまで以上に
5人体制になって何が変わって何が変わらなかったのかが
濃厚に表現されたアルバムとなっています。
そのあたりを、福岡土産『博多通りもん』をワイロに使って、
こと細かに話しを聞いてきました( ̄w ̄)ぷぷぷ
*****
それにしても、今日のインタビューは面白かった!
いつもは、基本的に話しの中心となる桃野&ヒダカ両氏が
だいたい僕の近く(もしくは正面)にいて、
あまり喋らない瀧谷くんは遠くに座ってしまうんですが、
今日は僕のまん前が瀧谷くん!
そして桃野&ヒダカ両氏は一番遠くに!
そんなシチュエーションもあって、
笑いアリ、大真面目な話しアリ、マニアックな機材話しアリの
ものすごく充実した取材となりました。
そうそう、僕はアーティストさんに対しては、
年齢に関わらず、すべての方に『さん』付けをするのですが、
どうしても『くん』で呼んでしまう人が2人いて、
それはPOLYISICSのヤノくんと、MONOBRIGHTの瀧谷くんなんです。
あれ、どっちもドラマーだ。
しかも、POLYとMONO。なんだこれ!?
まあそれはいいとして、次の取材があったために、
カメラマンJHON C.BURGER氏による撮影には立ち会えず。
後ろ髪を引かれつつ、現場を後にしました。
この記事は、4/27発売のGiGS誌に掲載予定です。
今回も、どうもありがとうございました!
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