最近トリノ五輪やライブドア事件のせいで、
耐震偽装問題について少し影が薄くなってきた感がある。
同じ建築に携わる者として、全く他人事ではない。もちろん耐震偽装などという大それたことはしたことはないが、よくよく振り返ってみると、クロスのしわや見えない部分での傷など
軽微なことでは、
「まぁ仕方ないか」と割り切って仕事をしてこなかったかと問い詰められると正直、言葉に詰まる。
人間のすることだから、ミスや失敗は当然ある。
でもそれを放置したり、隠したりすれば、どんなに小さなことでも今回の事件と
50歩100歩ではなかろうか。
士といういわば
プロなのだから、
己の責任とプライドにおいて恥じぬ仕事をやりとげるのが、今の我々に必要なことではないだろうか。
昔のサムライならば、己の至らなさ、ふがいなさで失態を犯した際には、潔く腹かっさばいて果てた。
しかし戦後の日本人は、「責任を取るというのは愚かだ。」「見つからなければイイのだ」などと責任回避、あるいは責任転嫁ばかりを考える人が多くなりすぎた。
紀元前18世紀のメソポタミア、今のイランにあった
シュメール王国の
ハムラビ(ハンムラビ)
王が定めたとされる
ハムラビ法典。
”芸能人は歯が命”ではなく、
”目には目を。歯には歯を”の復習法で有名な全282条の戒律ではこんなことが記されているそうだ。
『もし、建設された家屋が崩壊し、家長を死に至らしめし時は、建築家は死刑に処せられ、死亡せし者が家長の子であれば、建築家の子が死刑に処せられる。』
もし現在にこのハムラビ法典があったならば、いったい何人の建築家が死刑になることやら・・・

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