今年は青春した
たくさん泣いて たくさん笑った
たくさん怒って たくさん喜んだ
うれしいことも かなしいことも
たくさんあって それって。青春した!
人を好きになった 以前に
人の存在に気付いた 興味を持った
じぶんが人間な気がした
人間は大変ですごいな って
絵本の中 擬人化された 人あらざるキャラクタみたいな
気分になった。人間に憧れて人間のフリをするのでなく
自然体が、まるで人間みたいで 嬉しくなることが増えた。
会いたくて、話したくなった。
さみしくなった。不安になった。ヘンになった。
ひとりのことばかりを考える病気にかかった。
死にたくなった。の奥の方で、生きたくなった。
ずっときっとそうしたかったし、しようとしてきたつもりだったけど
できなかったし、ぼくには無理なのだと思いかけていたことがあって
君にそれを言ってしまって少しだけさみしくさせてしまった。
キッカケがないと立ち上がることも出来ない根性なしなので。
事件は春先に起きて
本気でステージに向かう事を始めた。 =本気で生きる事を。
表現。だけじゃなくて何に対しても真剣に向き合えば同じだと思うけど
僕には表現の事しか分からないから、表現の場合、の話になる。
でも、きっと、他の事でも同じでしょう。
真剣にやる、本気になる、ってのは恐いことだし、危険すぎる。
良い。とか、悪い。なんてマジいっさい分かんなくって、
それを、素晴らしいことだ!なんて破廉恥なアジテーションは出来ないし
やめとけ!とも言えないけれど、僕は本気になったから。始まっちゃった。
これまでの人生で耳にしてきた、いろんな詩や歌や物語や
日常の会話に出てきりした言葉たち。
分かったような気になっていた事、ぜんぶが不確かだ と再確認しながらも
「強く実感」できる機会が増えた。
J-POPすら沁みる。なんて、もう青春としか考えようがない。
中二病か。インフィニティ・アグレッシブ・ティーンズ。
永遠の十代、終わりのない夏休みに突入した。ご迷惑おかけします。
これ分かりづらいかな…全体的に意味が分からない文章になると思う。
いつも以上にね! がんばって読んでくれたら、感謝をします。
最近のブログでも、よく「死」について語るけど
SSWSに行く前は、じっさい遺書をしたためていた。あほだが…。
登山家は死ぬ危険があっても山を登り、F1レーサーも事故って死んだりする
ていうかボーリングしてたって死んだり殺したりするかもライクアコロンバイン
表現をすることで救われることも絶望することもあるだろう
愛することで生きることも殺すこともあるだろうライクア容疑者Xの献身
片山右京さんの登山仲間が登山中に亡くなって、ご遺族の方がコメントした
「大好きな山で逝くことが出来て幸せだったと思います」というような内容。
すごい。 と思った。
この事故に関して、雪山に登るのに届けを出してなかったとか
1人だけ下山してひどいとか、いや正しい選択だったのだ、とか
だけど遺族のコメントを前にして、ぼくは、賛も否も言葉がない。
尊敬する先輩と最期を山で迎えられて、幸せだった。かどうかは分からないが
こんなに理解してくれる家族がいたことは幸せだったのではないかと思う。
なにかに本気になるってのは魂を持ってかれる悪魔の契約にサインすることだ
漫画のだめカンタービレには、それが描かれていた。狂っている人が登場人物
作者も狂いかけた経験があるに違いないし、今だって狂いながら創作している
気配がある。 ディティールへのこだわり方が異常で、それは
クリエイターとしては正常なことだけども。
狂ってしまった先の世界を知っているのに、穏やかに日常生活を過ごせて
いるのなら、それは理想的というか僕が目指したい表現者の生き方だ。
破滅してはいけない。
狂っている人、に憧れる人として、ソン・ルイていう登場人物
中国人の女性ピアニストがいて、作者の気持ちを、千秋を通して読者へ
代弁するようなシーンが終盤にあって、だとすると作者は生粋の狂人じゃなく
狂人に憧れるけど突き抜けられないジレンマを抱えたタイプかも知れない。
だから僕には、グッとくるのかも。
のだめのセリフ「楽しんで演奏するので、がんばって聴いてください」も
去年から今年にかけて、ようやく理解した気になってるライブ表現の本質だ。
「お客さんが今日の主役ですよー」はライブを盛り上げる為の
リップサービスだけれど、実は、実話でもある。
ライブだけじゃない、かもしれないぞ。
桜井さんの「文学(文章)は救いにはならない。でも、文章から派生して誰かに出会って、お話できたりするのは、救いになるのかなと思います。」
を誤読して、勝手に解釈するなれば
やっぱり、どんな表現も本当の本当には、他者に向かっているのかもしれなくて
僕はずっと自分の為だけに表現しているような気でいたけれど、結局
ほんとはさみしかったのだし、つよがってみても、お客さんがいないのは寂しい
読者のいない小説は、悲しい。むなしくはないけど、悲しい気がする。
だから読者には、がんばってもらう必要がある。
がんばって小説や詩を書くなんて、無理だ。変だ。 読者が、がんばれ。
そうなってきた時に、お金のことが分からなくなったけど、それは
たぶん、お金のことだから分からなくても仕方ないのだと開き直るよー
お客さんを楽しませて、対価としてギャラを頂く、というのはアートとしては
反転してしまっている。それはエンターテイメントであり職人業だろう。
プロの仕事だ。アートにプロは本質的には無いはず。絵描きのプロなら居る。
役者のプロ。小説家のプロ。詩人のプロ。居るし、プロなら、がんばるよね。
がんばって小説や詩を書くのは、プロの人だね。職業小説家、職業詩人。
それは理解できる。けれども芸術家にプロは居ない。職業芸術家、だなんて
非道い矛盾だな、リアルに反吐が出そう。めそ。認められない、それは!
芸術家が鑑賞者から金銭を受け取るとしたら、それは仕事に対する報酬
ではなく、全て寄付金だ。ということに、なると思います。 ぐみ。
本来なら「鑑賞していただいてありがとうございます」と、芸術家が鑑賞者に
感謝すべき筋な気がする。もっといえば、お互い様だけども。 ぐみ。
とりあえず芸術家が裕福になったり権威的になったりしたら、
台無しじゃないですか。以上、自分の為のメモ。 ぐんま。
えげつない状況になってきた、このブログ
なにを書いてるのか、ちっともさっぱり分かんないよ!
ぼくじしんでさえも! み う し な っ た !!
今年を、ふ り か え ら な き ゃ ! きゃあ。
個人的には、そう。 春から大変なことになっちゃった →
SSWSに久しぶりに出てみる → 一番肝心な対戦は負けたけど、
結果グラチャン → 解決かと思いきや大変が継続 → ハプニングと
コミュニケーション → ちょっと安心 → 置きグミ → だいぶ安心
コトナは、置きグミにて、1年半ぶりにライブ。とっても良くて良かった
Candy Girl Disaster は、10月に初ライブ → 構想2年で、ようやく本格始動
家庭のほうは、嫁が相変わらずかわいいのですがセックスレスです。
息子は、3歳なので、かわいくて、そしておもしろいです。
娘は、まだ1歳なので、かわいいだけです。それは最も偉大な華です。
来年の計画は、できれば元旦に、今度こそ
いくらか読みやすい感じで、書いてみたいと思います。
こんなグチャグチャな文章を、最後まで読んでくれた君や彼らに
心から、感謝します。ほとんど自分への問いかけや覚え書きみたいなもんに
それでも読んでくれる人がいることで、湧き上がる「意味」があります。
あと、なんといっても今年後半大きかったのは、例の人物
桜井晴也なので、周りにウザがられるほど、その話ばかりしてた。
僕にとっては大きな救いであり、悦びであった。
感謝しているから、本人に伝えようっと。
伝える手段なんて、なにもないのだけれど。 めそ。
ぐんま。へ、める。らぶ。 きもきもきもい。 めそめそ。
☆ ヨイオトシヲ ☆

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