たとえば愛を、たとえない
「きみのこと」
ほとんど何も知らないんだから
好きだと言っても、だいたい嘘だった
それでも
嘘でも
大好きだよ!って叫ぶことで
楽しくなれる
楽しくなれるなら
嘘でもよかった
虚構だって現実のうちだよってのは
これまで僕が大好きだった人達から学んできた
真実だ
満ち足りた気持ちでいる
せろてーぷちゃんが高校時代に使ったまま現像に出していないというインスタントカメラを1000円で買ってきた / いい買い物をしたという気持ちしかない。
現像に出すのは勇気がいる。
おそらく修学旅行の時の写真だと思うと言っていたけど何が写ってるか分からないし修学旅行の写真だったとしてそこには笑顔でピースしている女子高生しか写っていないのに僕というおじさんが現像に出すのは勇気がいる。勇気が、かかせない。
と、ともだちのっ て言ってみたとしても
日付が4年くらい前なわけだし、どうしてそんな若い女友達の写真をどうして30代男性が現像に持ってくるんだろう、盗品にちがいない。へんたいに、ちがいない。通報しよう。
TWO FOUR!
まってください!
へんたい、というところはあっているわけですけれど
盗品ではないわけで
か、買ったんですっ と言ったとして
買ってるのも買ってるので問題なくなくない?
なんとか切り抜けられるかもしれないけど不審がられるのは確実で、それを思うと現像に持っていくのには勇気がいる。勇気が、不可欠だ。
警察に捕まっちゃうのかもしれなくて、むしろその場合、取調べ室で女子高生の修学旅行写真を机にズラーと並べられて、さあ詳しく説明してもらおうかぁ!?
っていう風になるんだろうかと想像すると、わくわくする。
へんたいだからね。
そういう体験ができるのならば貴重なことにも思えるし、せっかくだからやっぱり現像には出してみよう。そして写真の具合によっては展示を検討してみたいな。現代美術的感覚では誰がシャッターをきっていたかは問題にならず、僕という人間が金銭、家族、社会的信用、あらゆるものを失うリスクを負いながら手に入れた尊い写真をギャラリーに整然と展示することは「鈴木陽一レモンの作品」になりえるだろう。
もちろん、せろてっぷちゃんや写っている誰かの許可を得なければならなくて無理かもしれない。実現しなくても妄想だけでも楽しい。満ち足りた気持ちになれる。
ぐうぜんSCHOP上野さん夫妻や、すきま産業新聞社の方にも会えたけれど、よもや女の子の写真をゲットするために来ていますとは言えず BOOK MARK NAGOYA 関連の古本市に遊びに来た文化人の私ですが何か?という顔をしなければならなかった。ばれなくてよかった。
というのは冗談で休日出勤をしていました
輝き
その瞬間
涙である私達に許されているのは?
たぶん絶望と同じくらいの歩幅でしかなく
とっても
頭の良いひとと頭の良いひととが語り合っているときに
ぼくには5%の冗談が救いだった
ずっと探しながら歩いてきたからね
拾ったものを、おすそわけしているに過ぎないよ
出会うべきタイミングで出会うべきものに
必ず、どうしても、どうしたって出会ってしまう
そして出会ってしまったからには、なにかある
はじまりならば、もうとっくに終わっている。
うんこ屋さん、マミーさん、外国ず坂田さん
にも、お会いできて嬉しかったです。ほぼ、はじめまして
そうです。ぼくが。せろてっぷちゃんを熱心に
ネットストーキングしている変態のひとです。
つづく

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