今年のハロウィンは渋谷が話題になって
というか数年前から「日本流」ハロウィンが盛り上がって
あんなの本当のハロウィンじゃないという意見もあるじゃないですか
本当のハロウィンて、アメリカの子供たちがモンスターに扮して「お菓子をくれなきゃイタズラするぞー」のことだと思うんですけど、この場合
でも、さかのぼると起源はヨーロッパのどこかの年末の祭りというか死者との儀式みたいな、日本でいうと、お盆と大晦日が一緒になったみたいなイメージの
そしたらアメリカの時点で既に「転じてる」というか「薄まって」いて、そこからさらに日本に来たら薄まってパーティー感が増したという。
どこまでが許容範囲で、どこからがアウトか、それを誰が決めるのか。
「魔女の仮装はセーフなんです」誰が誰のために決めて従わないとどうなのか。
毎年、1度はニュースで見かける「日本語の誤用」
鳥肌が立つ、は元は悪い意味(身の毛もよだつ、と同じニュアンス)とか
「実は、その使い方は間違ってるんですー!」
僕も、わりと言葉の誤用は気になるほうだけど
役不足、力不足とかは間違わないでほしいけれど
たとえば「やばい」も元は悪い意味だけど良い意味でも使われるようになって「鳥肌」も今では良い意味で使われる事のほうが多い気がする。
昔から悪い意味の言葉が良い意味に転じるパターンは、かなり多くて
いつまでが誤用で、いつから正しい使い方だとされるのか
もちろん明確な区切りなど本当にはなくて、強いていえば辞書に載る、くらいだけど人々の暮らしの中では辞書に認められていなくても通用していれば言語として成り立つわけでギャル語とかヲタ芸も言語
誰が決めるのか正しさを
従う必要すらない正しさを
賢い言語学者ではなく愚かな市井の人々なんだな
学者が「誤用だ」とか「そんな言葉は日本語にない」と主張し続けても
愚かな人が数で圧倒すれば新たな共通言語は生まれてしまう
(学者さんをディスってるぽく書いてるけれど、実際の言語学者さんは当然「言葉は生き物」と充分に理解しているゆえ、むしろギャル語だったり新しい言葉の使われ方、意味の変化に寛容ですわよね)
知性とは何かなと考えていて
歴史修正主義とか反知性的なムーブメントに抗いたいと思って生きてきたのですが
人間は全員アホだし、もし1%賢い人が居たとしても99%のアホの圧に負けるじゃん
ということを想う
言葉もハロウィンも転じて変わっていくし、歴史も化学も新しく塗り替わる
正しさなんかは無いのだとしたら
流されて新しい価値観に染まる99%の人間こそ「真っ当」なのかな
知性とは
誠実でいようと心掛けること
くらいしか残らない
たとえば歴史
過去は分からない
たしかな史料が残っていても、その瞬間を生きた証人が死んでしまえば
解釈で塗り替えられて、どんな醜悪さも美化することが可能だろう
古い通説を護ろうとすれば、新しい価値観からは「異常」に視えるか
せめて謙虚に、誠実でありたい。
BTSメンバーが原爆Tシャツを着ていた
https://twitter.com/lemon_poet/status/1064141597783150595
https://twitter.com/lemon_poet/status/1064174997684416512
https://twitter.com/lemon_poet/status/1064177386176958465
https://twitter.com/lemon_poet/status/1064186002565029891
https://twitter.com/lemon_poet/status/1064195842674814977
https://twitter.com/lemon_poet/status/1064306711417184256
一連のツイートでも触れているけど
僕は表現の問題として捉えていて、Tシャツデザイナーのセンス「偽悪的な嘲笑ブラックジョーク」の是非。
是非って、だいたい非に決まってはいるけれど、非でも、存在するよと。
知らなければ怒れない
ゾーニングで回避も出来うる、ガキ使ブラックフェイスの問題と近くて
「なにが問題なの?」って分かってない日本人の間だけなら問題は発生しない
年末の視聴率の高い注目されている番組で放送して海外の人の目にも多く触れたから問題になったのであって
BTSも写真が拡まらなければ問題にならなかったわけで、日本のローカルな番組で黒塗りキャラのコントやっても気付かれないように、韓国やアメリカやその他の地域でも原発モチーフのギャグなり不謹慎な表現、いくらでもあるはず。
鳥肌実を許すのか。
元々は、お笑いピンネタの1キャラだったのが転じてマジナウヨクになったと云う説を俺は信じない。あくまでシャレにならないとこまでボケ続けて人生を棒に振るというギャグだと信じてる。しかし。
原爆Tシャツ、ナチスモチーフが駄目だというなら、鳥肌さんも駄目だ
僕は、大々的にやらなければ許容範囲というか顰蹙を買うまでがワンセットのアートだと捉えているけれど。大々的という面ではBTSよりガキ使のほうが悪質になる。
だから
表現者としては、なるべく小さな謝罪に留めるべきだし
HINOMARUで謝罪したうえにライブでは謝りたくなかった発言してたRADWINPSは一番ダサいし
NIPPONで謝罪してない椎名林檎が一番格好良い
これは余談だが、ほぼ全文が余談だ最初から
ちなみに格好良いのは椎名林檎であり「NIPPON」ではない
あの曲自体は全然ピンと来なかったけれど、それでもライブで唄われた「NIPPON」は格好良くなってしまう。椎名林檎は強い表現者だ。
思想は、からっぽなんだと思う。だからこそ強い。
話は戻って
一番早い段階から「これは差別問題に関わる案件だ」と指摘していた人に
「差別、関係ないじゃん」と文句を言ってる人が居た。
無知なんだと思う。
あなたは無知だ、と伝えれば馬鹿にされたと感じるかもしれない
だが無知であることは時に素晴らしく、何かを知ってしまえば知らない状態に戻れないので無知である状態はかけがえのない、それでいて僕はやはり軽蔑したい状態なんだ。いや、無知なる状態ではなく「無知を恥じない反知性的な態度」こそを軽蔑する。
そしてこの「無知/反知性」に対する軽蔑や嫌悪も「差別」だと僕は感じる。
差別の定義
人種など変えられえない属性、出自、また権力や財力なにかしらの立場において弱い者への不当な扱い
に当てはまらないとしても
馬鹿で愚かで社会に害をもたらす人にも、人権があるし、そういう酷い状態にあることを尊重しなければならないのかもしれない。
「マジナハナシ」という曲で僕は
「自由を捨てる自由なんか認められるかよ」と歌った。
「いかに寛容であっても『不寛容』に対してだけは寛容になれない」
それは常識だと思ってきたけれど、その常識が通じない人は居るし、不寛容に対して不寛容な態度で居る人は、やっぱり不寛容に見える。馬鹿をバカにする人、その有様が相手の馬鹿と同じく醜い。
これが今回、僕が「鏡に映る己の姿を直視した結果」です。
なにが解決するわけでもなく困難は深まるだけですけれど。
何が問題なのか知らないと怒り方を間違える
伝えようにも「知ろうとはしない」ので知らせようとする声が届かない
鏡に映った
それが己の姿だと気付きもせずに
吠えて、猿が
マンションの例え
憲法 法律 人道 筋
その話は、今度また。
おやすみなさい。愛しい人よ。

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