まんをじして絶妙の間とタイミングで話そうと待っていても、そんなタイミングは来ない。来ても。一瞬、遅れる。必ず。ならば、と、思いついたコトを思いつきざま直ぐに言うのか。それでも遅いくらい、なのだけど、そんなに急ぐと、いろいろ失敗、したり 後悔ある、なのだけど、まんをじしても、まちがうことしかできないから、どうせ同じ。だまらない。あのね。ぼく脳さんと天竺鼠 川原さんを比較することで笑いとアートの境界線について語りたかった。1年くらい前から考えてて、まんをじして、おとといくらい言いたくなったんだけど、ブログに書くのには時間がかかって、今日は、ね。もう違う気分なの。
昨日までの私じゃないから、もう次に行ってるの。とまらねえ。
半泣きでCDいっぱい作った。
半泣きで持っていく。
こないだ買わなかったことを後悔している。
また会う日まで、歌い、続けてね。十月さん。
情報があふれるなかで真実を見つけるのは難しくて
害悪でしかないデマもある。
それは無邪気な失敗の場合もあれば、わざとデマを流して印象操作しようとする悪意かもしれない。
それでも、罵りあうのではなく会話が始まればいいな。
黙るべき人間なんて、いない。それが民主主義の理念じゃないか。
たとえば、ぼくのようなバカでも声を上げていいはずだよね、と思う。
知識は大切だけれど偉大な学者でも判断を間違うことはあるだろうし、
すげーバカな言葉が真理をつくことだってある。
黙れ という圧力こそを憎むし、軽蔑したいな。
わざわざ中立の位置で発言してくれている人に向かって
「中立のフリした敵だ!消えろ!」とか言い出すひとたち
愚かだし、逆効果だし、味方サイドの足を引っ張ってるから軽蔑します。
敵ちゅうか味方ちゅうか分けちゃうのも問題だけど
どちらサイドにも、すげーバカなデマ流すひとは居て
それは害悪。害悪いうても、黙るよりマシかなあ。
頭の良さそうなひとは、こわいけれど、やっぱり話は聞きたい。
わっかんねえけど。自分より賢いひとのいうこと、わっかんねえけど。
ほんとに賢いと、こちらの分かるところまで降りてくれるよね。
わからないなら、わからないっていうのがいい。まちがってもいい。
まちがわないためには黙っているしかなくて、そんな正しさなら
くだらない正しさだからな。
国家と個人を分けて考えていたけど
国家は個人の塊だと、賢いひとに教えてもらった。
ちょっと分かりかけるかも。こまっちゃう。
あくまで個人至上主義で行くけど。国益なんか知るかよ。
君と手を繋いでいれば僕は滅びない。

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