わんだくんの告別式には
愛知からエンヤ兄とコッキーさんが行ってくれた。
家族親族をはじめとする、わんだくんを愛したひとたちに会える
なにより、直接別れを伝える最後のチャンスなのだから
僕だって行きたかった。けれど。何をすべきか。何を想うべきか。
名古屋で、考えていた。わからない、わからないけれど、
twitterとかミクシ日記でwonderboyと検索すると、読みきれないほど
書き込みが出てくる。そしてその大部分が、「1度ライブを観た」とか
「1度お話させてもらった」「動画で曲を聴いた」という人たちで、
友達や、詩人、MC仲間の数以上に、リスナーというべき存在たちが
わんだくんの死を悼んでおり、これはもう
『世界征服やめた』と『銀河鉄道の夜』を出発点に、
1stアルバム『ラブリー・ラビリンス』発売で、いよいよ
不可思議/wonderboy の「物語」が始まっていた証明であるだろう。
つい最近知った、という人のために、なるのかならないか
なにより僕自身のために、知りうることを書いておこうと思う。
まちがってる部分があれば、もっと詳しく知るどなたかに
訂正や加筆を、お願いしたい。
〜2008年まで
わんだくんは、HIP HOPのクラブイベントに居心地の悪さを感じていた(ARMSというユニット、たしか2人組でやってたと聞いた気がする)。ブルーハーブや降神、小林大吾が好きで、大吾さんや降神なのるさんが過去に出ていたSSWSという大会に興味を持つ。
自分も出てみようと思いたった彼は、そのとき初めて自身の大学時代のニックネームでもある「wonderboy」の名でエントリーした(と聞いた気がする)。にしても、ワンダーボーイっていう言葉は世の中にあっても、なかなか日常で耳にしないけれど、またどうしてニックネームになりえたのか。よっぽどワンダーなボーイだったのか、不可思議だなあ。ちなみに名前の「不可思議」は後付けで、検索で見つけやすくしたかったらしい。
そしてSSWS、結果としては8月予選を2位で通過し、9月のチャンピオン大会で見事に優勝。しかしその結果以上に重大だったのは出会いで、わんだくんは今村知晃のステージを見てしまう。気持ちのわるい獣のような圧倒的存在感に、これが詩の朗読…!と衝撃を受けたという。幸か不幸か。
不可思議/wonderboy の物語は加速していく。
ちなみに『世界征服やめた』はSSWSで勝つために、絶叫したほうがインパクトあると思って作った。と、のちに本人が語っていた。
なんだかウィキペディアみたいな気分になってきた。ここから、鈴木陽一レモン目線になっていきます。出会うから。
2009年
わんだくんは猫道節、開口一番、他。次々に朗読系イベントに顔を出すようになり、オープンマイクtamatogiに至っては、頼まれもしないのにテーマ曲『tamatogi』を勝手に作ってくるくらいに馴染んでいった。居心地が良かったんだと思う。ポエトリー・リーディングに救われた、というようなことも言っていた。ネットにUPした楽曲はニコニコ動画にも転載されたりと、じわじわ話題になりつつあったかも。
その年の6月
僕はSSWS第4サイクル最終予選にエントリーして、決勝大会に進んだ。勝ち進むと、どんな相手が居るのかとネットで調べていたら見つけたのが『銀河鉄道の夜』のyoutube。強敵!と思うと同時に、美しい物語!とも思ったから、さっそく周りのひとにオススメしたりした。wonderboy本人と初めて会うことになるのは、それから間もなくのことだった。
6/27 上野恩賜公園「UPJ4」わんだくんは、会場客席最上段の出店スペースでデモ音源『不可思議奇譚demo.ep』を売りながら、じっとステージを見下ろしていた。そして夕暮れ時のステージに登場し、「たくさんの詩が死んでいくのを見たー!」とか叫んでいた気がする。「コンドームになりてー!」とか。
全てのステージが終わり、帰る時に僕は500円玉をわんだくんに渡し、わんだくんはデモCDRをくれた。僕は「SSWSに参加してるよ」と言って、わんだくんは「まじすかー。でもイシダユーリいますもんね」と、まるで僕には勝ち目がないような言い方をして笑った。失礼なヤツだった。実際、僕はイシダユーリに勝てなかったけども。
次に会ったのは8月のグランドチャンピオン大会で、準決勝は鈴木陽一レモン vs 不可思議/wonderboy だった。この時の様子もyoutubeなどにあるけれど、いい戦いだったと思う。それから今度は10月のtamatogiで、僕は『エナ』を歌って、わんだくんはとっても気に入ってくれた。「イベント主催するときは呼びたいんで、デモください!」て言われて、音源を渡したら「エナ以外の曲はイマイチですね」とか言われた。正直なヤツだった。
それでも、いつからだか僕のブログになんらかシンパシーを感じてくれていたのか、わんだくんブログ『不可思議奇譚』に8件しかないお気に入りリンクのうちの1つが僕の「コトバ」になってるのは小さな誇り。
あと、この時期といえば『言葉がなければ可能性はない―SpokenWordsCompilation2009―』がリリースになり、『不可思議奇譚demo.ep』と共に恵比寿wenod店頭、及びネット通販で順調に売れ続けた。朗読コンピの方は、僕が名古屋、にゃんしーが関西の販売窓口を担って、それぞれの土地で確実に衝撃波を拡げていった。
SUIKA夜話祭りでも、わんだくんに会ったなあ。あの時はワンダーガールも居た。『未知との遭遇』はワンダーガールへの曲だっけ。猫道、抹ちゃん、キムモリ、eRi51.…他に誰がいたっけ、あの日。あの日も美しい日だったな。
2010年
春、転職とレーベルLow High Who?所属というターニングポイントを経て、わんだくんは表現者としての次の段階へ歩みを進める。じわじわ新曲も増えてアルバム製作に取り掛かった頃、また大きな出会いを迎える。MOROHA。わんだくんにとって生涯最大のライバルになる存在だった。
周りから見たら、何をそんなに興奮することがあるのかというくらいに意識していたなー。7月には自身の主催企画「LABYRINTH LOVERS」にMOROHAを招いて対バン。少し先を行くライバルを追うように、不可思議/wonderboyへの評価も各所で高まりはじめる。
わんだくんの企画に僕を呼んでもらうのは結局幻になったけど、逆に僕の企画で名古屋に来てもらうのは実現した。12/5 KD・Japon「影踏み遊びvol.1」だ。
開催に至るエピソードは
http://yellow.ap.teacup.com/lemon/663.html にも書いたけど、本当に開催して良かったなあ。
http://hukashigi.blogspot.com/2010/12/blog-post_06.html
わんだくんブログにもあるように、鈴木実貴子、Enya-Sang、ae96さん、はゆさん、他
良い出会いがギュっと詰まってて必然、美しい夜だった。なにもかも必然なら、せめて美しい夜があって良かった。
http://yellow.ap.teacup.com/lemon/588.html
12/10には、代々木公園でのバトルサイファーにエントリー。
以下、わんだくんブログから引用。
予選を2位で勝ち上がり
谷川俊太郎と志人となのるなもないとサイファーするという
一生忘れられないような稀有な体験をしてしまいました。
続けていればこういうこともあるんだな。
大学生時代に聴きまくっていた降神と
中学時代から教科書と合唱、詩集やテレビでしか知らない生ける伝説、谷川俊太郎が
俺の隣で向かい合って輪になって
朗読なり、ラップをするという
あの緊張感は一生忘れない。
たくさんの人に聴いてもらえた。
いろんな人が言ってくれた
いろんなことをもっと信じなきゃ。
12/18には、YSWSグランドチャンピオン大会で優勝。
2011年
1/29 原宿クロコダイル「桑原滝弥プロデュース・俊読〜shundoku〜7」にて再び谷川さんと共演。この日、『生きる』を初披露。のちに谷川さん本人から直接音源化の許諾を得る。
この『生きる』は本来の計画を破棄して、3/14 震災復興支援のための自主制作シングルとして緊急リリース。一晩で完売。
3/18には、岡崎ひかりのラウンジbyRAGSLOWにて
盟友Enya-Sangがレジデントを務めるパーティー「○」に出演。
この日も、かっこつけない等身大で熱いライブをかまして、岡崎の地にもワンダファンを増殖させて帰っていった。いつものごとく初対面の女の子に恋したりしながら、楽しそうだった。楽しかったな。
僕も出演していたので、帰りは名古屋駅まで送っていった。2人きりで1時間くらいかな。いろんな話をした。『Pellicule』と『世界征服やめた』に出てくる友達は別々の、それぞれ実在する友達だと聞いた。てっきり同一人物と思ってたから、へー!と思った。面白い友達いっぱいいるじゃん。葬式の時には日本に帰ってきたのかな、会えたかな。
このとき、わんだくんに僕から言いたかったことの少しは伝えられた。これが最後になるなんて思ってもみなかったけど、それが僕にとっては最後になった。
HMV onlineでの特集インタビューなどもあり
http://www.hmv.co.jp/news/article/1104210082/
各CDショップでの展開も華々しく、いよいよ1st ALBUM『ラブリー・ラビリンス』 5/4に全国発売。
早々に話題が広まり、TUTAYAでのレンタル開始、それに伴う追加プレス、さらにはサマソニオーディションにエントリーと勢いに乗っているようにしか見えないなか。6/23 急逝。
6月にはBar軍艦島にてリリースパーティーを行い。その場での鈴木実貴子ライブをパッケージしたCDRを6/18に即リリースしてプロモーションに奔走するなど、駆け抜けた。
亡くなる前日には代々木公園「夏至フェス」に遊びに行っていたという。憧れ続けたtotoさんや小林大吾さんのライブ。終了後、どこに居るか分からないtotoさん一行をなんとか探し出したわんだくんは、totoさんの娘さん(2歳)と手をつないで嬉しそうにしていたらしい。
そして今、君はいない。
死んでしまったひとは、もういないんだと思う。
喜んだり、悲しんだりもしないんだと思う。
わんだくんのために、今から何かをするなら
それは残された私たちのためなんだと思う。
裏切られた気持ちだ、と言ったひとがいる。
この先の景色を一緒に見るはずだったのに。
とにかくでかく事を起こして、
あいつを悔しがらせたいと言ったひとも。
不可思議/wonderboyの物語は終わっていなくて
ラブリー・ラビリンスのセールスは伸びてくし
2nd ALUBUMも、トリビュート盤も出ると思う。
リミックスなんか、新進気鋭のトラックメイカーが
現れるたびに無限に発表されうるし。
生前には1度もやっていない全国ツアー!とか
あってもいいんじゃないか。
さっそく、7月7日に2.5Dで追悼イベントだってさ。
出演:
不可思議/wonderboy(再放送) / 神門 / MOROHA / 狐火 /
マサキオンザマイク / EeMu(DJ) / toto / and more!!!
観覧料:無料 *不可思議/wonderboyの2ndアルバムの制作の為のカンパ制
時間:OPEN 18:30 / START 19:00
すごいメンツじゃん。どうよ、わんだくん。
喜んでくれるのかな、それとも、生きとけばよかったって悔やんでくれるのかな。
死んでるんだから、そのどちらもないのか。
もし生きてれば拓けたはずの次の景色
残された私たちは見たいんだよ。お前が
不可思議/wonderboy が、どこまで行けるか。
しばらくは騒がしくなるよ。こっちは。
そっちは、どうなの
まあ、ゆっくりしろよ。
もうなんにも辛いことないだろ?
さいとういんこさんブログによる
お通夜と夏至フェスでの、わんだくん
http://blog.livedoor.jp/kokominokokoro/archives/2011-06.html
小林大吾さんも詩を書いてくれている
http://diagostini.blogspot.com/2011/06/tryin-to-be-piano-wire.html
LHW? Paranelさんが振り返る、この1年
http://lowhighwho.jugem.jp/?eid=124

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