チェルフィッチュ。こないだ見てきたよ
チェルフィッチュとは、ぼくの知る限り
演劇っぽいことをやっていて、そのやりかたっていうのが
「えーっと、じゃあ今から始めるんですけどー、サトシってヤツが」
みたいな調子の、ダラダラした若者言葉で、役者が舞台から
観客に話しかけちゃうような。そんで、いわゆる演劇的な演技という
ものは排していて、役者同士が対話することもほとんどなくって、
次から次、出てくる役者が、それぞれの視点で同じ話をするような
と聞いていた。
あとそれから特徴として、身体は、なんだかずっと、うねうね、ぐにぐに
動いてて「ノイジーな身体性」とか言われていて、一般的な演劇だと役者は
無駄な動きをあんまりしなくって、ビシっ!と立ってたりするものだけど、
日常の人間の身体は、だらだらしてたり、動きのクセがあったりもするから、
それを強調したものなのか。なんしか、それがアートっぽいダンスにも見えて
コンテンポラリーダンスの亜流として語られることも、あるとか。
と聞いていた。
一緒に行ったサヲリちゃんは、入場時にもらったパンフレットを見て
これすごいですね。て言うから、何かと思って読んでみたらば
「この舞台は、観客に負担を強いるものです。かつ、観客を
快適にさせておかないものです。」
て書いてあって、きゃ!と思った。
で、だから、そのとおりな舞台が、繰り広げられて、かなり寝ていた
僕は、ほんのちょっとしか寝なかったけど、けっこう寝てるひともいた
今回は、ダラダラした若者言葉で語るスタイルから離れて、なんだか
英語を直訳したようなカタカタした日本語で、演出の岡田さんいわく
「観客の意識の中に映像や感情が立ち上がるような」喋り方を
していたかもしれなくて、結果として、それは棒読みっぽい淡々とした
喋り方だった。(厳密にはテキストと言い方は別の問題。)
今回、内容の方のテーマは「幸せ」で、スタイルとしてのテーマは
「代理表象」だった。この両者は不可分だ、とパンフに書いてた気がする。
ストーリーは、幸せな男がいて、奥さんがいて、新婚か分からんけど
若い2人は幸せで、今度の土曜日に奥さんの会社の同僚が遊びにくる、
翌日の日曜は選挙の投票日だね。っていうそれだけ。事件らしいことは
何も起きない。
代理表象とは、たとえば舞台上に「木」がある、としたいときに
本物の木を持ってきて植えるのと、棒を一本もってきて、これは木です。
っていうことにするのと、どちらが、より、木としての役割を果たすか。
実は、ただの棒でも、芝居を進めるうちに、ちゃんと木として見えてきて
しまうし、なんと、棒の素材は鉄でもプラでも、変わりはないのだ。
ブロンズの彫刻は、ブロンズなのに、人のかたちに見えるわけだし
絵は、いろんな色の絵の具が重なっているだけなのに、それが人や
風景のように見えることができちゃって
これは役者においては、Aさんという人の役を、別にBさんがやっても
Cさんがやっても、芝居の中ではAさんだ、ってことだし
今回の舞台の中では、奥さんの同僚の「みずきちゃん」が3人居た。
一人二役っていうのは、あるよね。あと、公演期間が長いと
一つの役を日によって別の役者がやることは、あるよね。
でも、同時に舞台に、みずきちゃん役の女の子が3人、並んでいた
3つ子ていう設定じゃないよ。別に、顔も似てないし、服装も違うし
あくまで、みずきちゃんは世界にひとりしかいない扱いなんだけど
仕事場のみずきちゃんと、電車に乗ってるみずきちゃんと、おみやげを
買いに行ったみずきちゃん、だったかな。が、同時に存在していた。
代理表象を強調している場面かもしれない。誰が演じても、みずきちゃん。
あと、奥さんは最終盤にさしかかったとき
「わたしはベージュのブラウスを着ています。」と言ったけれど
奥さん役のひとは黒っぽい服を着ていて、きゃ!と思った。
これも代理表象だけれど、最初のほうに言わずに最後のほうで言うなんて
これは冗談だと思う。みずきちゃんもだし、他にもちらちら冗談と思う。
でも、あまりに退屈な空気を誘っているから、いっさい笑いにはならない
僕は寂しいよ。笑いたい。けど、演出効果としては、退屈を狙ってるっぽい
ある場面で、奥さんが部屋に1人のところへ、謎の男が訪ねてきて
ドアをノックして、どちらさまですか?って聞いたら
「わたしは、幸せではない男です。」とか言い出して、
「なぜなら、お金がないからです。」とか元も子もないこと言ってて
「あなたは誰でも、ささいなことで幸せを感じられる。と思っているかも
しれませんが、それは、ある程度の幸せの上にしか成り立ちません。
幸せの周りを縁取るように、不幸は存在します。
わたしの話を聞きましょう。わたしの存在を忘れてはいけません。
わたしは時々、訪ねてきます。鍵は、開けておきましょう。。。」って
ちょうこわい捨て台詞を吐きながら、いなくなった。
とっても不穏な空気が漂っていて、サヲリちゃんは、とらうま!と言った
舞台上は、すぐに別な女のひとが出てきて
「実際には、このような男は訪ねてきません。なぜなら
マンションはオートロックだからです。」と言っていて、これは
世が世なら、冗談だと思う。しかして、いっさい、くすりとも笑いは
起きなかったので、これは、冷静な状況描写、だった。両方だと思う。
もっとハッキリしているのは、夫婦が来年、高層マンションに引っ越す
予定なのだけれど、25階あたりに住むよっていうことに対して、また別の
何者だかわかんない謎の男が出てきて
「この2人は、高い所が好きなのでしょうか?
この2人は、馬鹿なのでしょうか?」って言う場面があって、
世が世なら、爆笑だと思う。しかして、笑いは起きなくって、びっくり!
それっくらいの空気だったということ、もはやMr.ボールド先生にも
どうすることも出来ないくらいの重い空気!ここ、寺かな?思たわ!
こんなもん、墓やで墓! まあ、あとね、時々なんのキッカケかも
よく分からない場面で、BGMが うーっすぅーら、実に薄ら流れていて
(空耳かな?くらいの)もうぜったい眠らせようとしているに違いなかった。
あ、ちなみに、「幸せでない男」は、きっと奥さんの妄想だね!
不安になると、ヤツが来ちゃうね!戸締り!セコム!とかって思った。
他にも、旦那がバス停に居る場面で、隣の男の聴いてる音楽が何か
聞き取れないんだけど、みずきちゃんが電車に乗ってるとき、隣のひとが
聴いてるのは「古い音楽」なんだよね。聞き取れない場合と、聞き取れた
場合、両方描いたからには何か意味がありそう。
選挙も、「三月の5日間」でいうとイラク戦争や反対デモ的な何かの
象徴っぽいけど、わかんなかった。わからなかったから、それでいい
って思ったし、でも分かるひと居たら、教えてプリーズミー。
一方で、ノイジーな身体性に関しては、今作でも存分に披露されていて
サヲリちゃんは、動物園!と言った。 なるほど!と思った。
セリフの言い方に感情がないぶん、すなわち「生きている本物の木」
ではなく、まるで「鉄の棒」のような無機的な在り方で声を出すぶん、
動きの方では、「生き物」であることをアピールしてるのかも?
竜太の結婚披露宴の時、各テーブルに花びらのように美しく整えられた
光沢のある紅色の布が置いてあって、それを現在アメリカでジャズドラマー
として活躍中のツヨシヤマモトが何食わぬ顔で、こっそりいじっていた。
ちょうど人形劇とか、ぬいぐるみで遊ぶ時に、ゆさゆさ動かすとまるで
生きてるように見える。みたいな要領で、布ドッキリを仕掛けていたが
誰もドッキリしないどころか、気付いてもいなかったから、僕は大袈裟に
わーあ!布が!生きてるかと!思ったよーう!と言った。
ツヨシヤマモトは、ふふっ。と笑った。
もっとシンプルな例として、お好み焼きの上のかつおぶし。
動いてることは、生きていることの表象と認識されうる。だから、なに?
すげえ長いけど、まだ書くことあるから
チェルフィッチュ2に続く。さらに演者サイドの話を。

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