東京の朗読詩/スポークンワーズ周辺アーティストによる
コンピレーションアルバムが発売になりました。
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『言葉がなければ可能性はない―SpokenWordsConpilation2009―』
1.すべらか/三角みづ紀
2.ふかい/ともちゃん9さい
3.部品注文間違いの件について他2篇/今村知晃
4.タイガーマスクのマスクが破られる瞬間/イシダユーリ
5.丸井血風録/猫道
6.スキン/イシダユーリ
7.蛇/大島健夫
8.冬の雀/三角みづ紀
9.海底杉並区/猫道
10.ちがあかビーバップ/ともちゃん9さい
11.世界征服やめた/不可思議/wonderboy
<作品紹介>
中原中也賞・受賞詩人、三角みづ紀をはじめ、都内のポエトリー
イベント等で活躍するパフォーマーが一堂に集結。
ときにしなやかに、ときにたたみ掛けるように激しく、
圧倒的迫力でせまる66分16秒。
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理由はたくさんある。
まず詩人たちには詩集を作りたいという意識はあっても、自分の朗読を
CDにしたいというような方向に意識は向かないようだった。そこで
ラッパー経由の僕が触媒になって「ねぇねぇCD作ろうよ」ってな調子で
声をかけた。これがきっかけ。
あとはどう考えても凄いことをやっているのに詩の朗読という
閉ざされた世界では詩の世界に住んでいない人たち(つまり地球に住む
ほとんどの人たち)には、その声は非常に届きづらいと感じたこと。
おそらく詩と無関係なところにいる人々にとって詩の朗読ってのは、
心の病んでる残念なヤツか異常にメルヘンな残念なヤツらによる非常に
残念な行為であるという認識であると思う。そして、その多くの人々の
認識とおおむね違わない状況がポエトリーリーディングの現場では
しばしば見られてしまうことも残念ながら事実だとは思う。
だけど、だけど、上野ポエトリカンジャムのゲスト枠や俊読の出演者の
パフォーマンス、SSWSの決勝トーナメント、を見て、感じて、僕は
ものすごい可能性をポエトリーリーディングに対して感じたし、
その思いは今も変わらない。
そしてなにより各地のオープンマイクで日々叫んでいる詩人のライブや
その人の人なりが大好きで、見ていてなぜか安心してしまうことがある。
とっても危ういことをやっているのに。
で、彼らの声は拾われるべきだと思った。その声は録音され、誰にでも
簡単に届けられるべきだと思った。
それを言ったらユーリさんは「別にぃ…」って感じだった。
でもやっぱり、詩の朗読はある意味もっとポップなものであるべきだと
僕は思ってる。ドープでポップ。だからその辺のギャルが、とまでは
いかないけど、たまたま聴いたその辺の普通の人が、え、なんかコレ
カッコいいじゃーん、とか、おもしろいじゃん、と言ってくれるような
CDを作りたかった。 で、できた。 完成!自信作!
11曲中11曲が究極!
やったもの勝ちということで。普通に楽しいアルバムです。
こないだ今村さんと飲んだとき、今村さんが恋愛について
「言葉なんてどうでもいいんだよ!何をしたかだからさっ!!」
って言ってて、詩人としてのその逆説的なフレーズが、すげー頭に
残ってる。やらない理由はいくらでも作れてしまうから、やっぱり
やってしまうべきだよ今!
まぁ今の僕は迷える子羊ちゃんですけどねっ!ちぇっ!
11月22日『言葉がなければ可能性はない』リリースパーリー
@渋谷 Bar Sazanami です!
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以上、首謀者のwonderboyくんの日記より。
関東エリア以外での入手法としては、
WE NOD
http://www.wenod.com/ からの流通があります!
恵比寿の店頭、及びWE NODホームページで来週くらいから発売開始!
数回クリックをするだけで、全国どこからでもCDが御購入頂けます!
これは遠方からの購入希望者には朗報だッ!
ちなみに名古屋なら、僕も販売窓口になってるので
「詩のあるからだ」@八事POPCORN などで購入いただけます。
関西方面窓口、にゃんしー君。の各ライブ会場などでも。ぜひゲットして
耳を傾けてみて! 7アーティスト、11トラック、66分収録で1000円です。
ていうか!
イシダユーリが現代詩フォーラムから居なくなってる気がするッ!
表現者としての目線では「そんなことも、あるよね〜」で済むけど
読者/ファン目線で言わせてもらえば多大な損失だッ!
自分の作品に執着する人って、男の方が多い気がする。女の人は
(ウチの嫁も含めて) 排泄行為的に作品を産んでたりする。
美術家・林裕己さんは、過去に自作のオブジェを廃棄した事を
永く心にひきずり続けた。そして、パフォーマンスアートの
終わった後の何も残らなさを指摘して、潔いですよね。と、笑った。
現代詩フォーラムにあった200本とか?もっとあったかな。
イシダユーリの数年分の詩が失われたとしても、それは眼に見える
形が失われたにすぎない。詩を生み出した本人であるところの
イシダユーリの、そのセンス、その感情、その香りは、けして
失われずに残っているだろう。もし本人が死んだとしても
「マス」の「34」の「NO HOME GO HOME」の一節一節が、ぼくらの
心臓に、細かく刺さってやがって、血となり流れる。
ゆえにね。形として眼に見えてる「作品」にこだわらなくても
まぁ、いいじゃん!とも思える。ずっと自分の中に、あるよ。
作品を、うっかり失くしちゃったりして
メソメソしてる男の子も、かわいいと思うけどね!
てことで、作品にこだわった男の子、wonderboyくん監修の
コンピレーションCD、よろしくぅ☆

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