舘野さんは10月2日札幌コンサ−トホ−ル”kitara”で開催されたコンサ−トの際
”アイノラ抒情曲”の中で随所にまだ麻痺の残る右手で演奏をされた。
5年前、舘野さんが脳溢血で倒れられた時、かなり重度だったので誰もが再起不能だろうと言われていた。
でも、舘野さんは不屈の精神で
”左手のピアニスト””奇跡のピアニスト”として見事再起した。

で、この度も以前にも増して右手で演奏する部分をどんどん増やしていっている。
私は何か特別なリハビリ−をしているのではないかと思い、舘野さんに聞いてみた。
すると
「僕は右手のためにはな〜んにもしていませんよ。ただ、左手であれだけ弾くことが右手の麻痺している神経を刺激していてそれがリハビリ−になっているようですね」
とおっしゃた。
私はその時、9月30日に某TV局でみた”波乱万丈”の番組を思い出した。
その時のゲストは女優の
”真屋順子さん”だった。
真屋さんも7年前脳出血に遭い、左半身不随である。
彼女もまた再起不能と言われていたが車椅子姿で舞台に復活した。
その時の演目は
”出雲の阿国”だった。
真屋さんはステ−ジの上でこの阿国が踊るシ−ンになると車椅子から立ち上がり不自由ながらも必死で踊る。
で、彼女がTVの中で言った言葉
「病気になってしまったものは悔やんでもしょうがない。今ある自分をそのまま受け入れその中で精一杯自分にできることをするのが生きていることの証です」と言われた。

私はこの真屋さんのことを舘野さんにお話をした。舘野さんは うん うん と目をうるませて聞いていた。
舘野さんも真屋さんもここまで来るには精神的にも体力的にも極限を通り抜けられて来たんだと思う。
改めて彼らの人間としての生き方に敬意を表したいと心から思った。
<出雲の阿国>
京都で念仏踊りを上演して人気を博し、後の歌舞伎踊り(芝居)を創始したのが出雲阿国です。
出雲大社の鍛冶職中村三右衛門の子で出雲大社の巫女でしたが、晩年は大社に帰り尼となり、87歳で没したと伝えられている。

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