最近このblogにもよく登場する南伊豆町下賀茂の「アートギャラリーみいづ」、町が買い上げた旧厚生省の土地と施設を地元の陶芸家が中心となって暫定的にギャラリーとして使っている。またその立地が毎年の町最大のイベント「みなみの桜と菜の花まつり」のメイン会場にも近く、町役場、商工会などの集まり古くから湯治場として名高い下賀茂温泉にあるため、今後の再利用の方向性が町議会でも話題になっている場所。
現在のところは、もちろん利権のからんだ通俗的な道の駅案が主流だと言う。
そのみいづのメンバーでもある
佐藤工房さんが今年の初めから連続して伊豆の3カ所で個展を開いた。
松崎カフェ&ギャラリー
侘助、次に
弓ケ浜休暇村南伊豆ロビー、そしてアートギャラリーみいづ、と連続して2ヶ月間強。
わたしは4年ほど前、通りすがりで子浦のショップに寄らしてもらってから、一昨年〜昨年に”
ライブハウス南豆製氷プロジェクト”への協力をお願いに行ったのをきっかけに付き合いが始まり、アートギャラリーみいづを紹介してもらい昨年暮れから参加させてもらっている。
今回の3カ所も見させてもらった。どの会場でも、キュレーション側の持っている通俗的世界観を作品でダイレクトに顕在化させたのは、ある意味作家の戦略ともとれた。戦略というと若干否定的にとられがちだが、そうゆう意味ではなく、挑戦や喧嘩というほど青臭くなく、計画的という意味でそこにいくつかの時系列にそった不自由な意識の解放へ向けてのステップが見え隠れしていたからだ。スケープゴートなどに怖れる様子などアートに関る者は知る由もない。コモンセンスを狭義に捉えるのではなく、人の細胞に普段は眠っている太古の記憶の消息に添った、DNAの中に折り畳まれた記憶へのアプローチの方法の可能性を感じさせていた。
言い換えれば、あたりまえのことをあたりまえに行ない続ける事しか「アートの方法」はないのだと言っているようだった。
古代エジプトの文明が、現在はオカルトや秘密結社、疑似科学、新興宗教、テロリストなどの中に形を変えて受け継がれているように、私たちのDNAに宿っている宇宙の意志とも言うべき「ビッグバンの根拠」は現在では反社会的と言われている集合に属する中のある一部分に偏在するのではないのか?。勿論私は今上げたアンダーグラウンドな集団を全面的に支持はしない。ただ30年前から町のジーンズショップに
チェ・ゲバラのポスターが貼られ、熱海の
MOA美術館に
紅白梅図屏風が展示されている時代なのだから、これからの私たちにとって大切なのは、それらの意味と、たとえば現在の宇宙物理学や量子力学の最先端の成果とを同じディメンションで語れるかどうか?ではないのだろうか。そのような視点を持つことによって、それぞれまったく別に見える事象が、まったく同じレイヤーにあるように認識されることを体験すれば、いつも目の前にあるものでさえ、そこに在ること自体を疑うようになるのだろう。そして、信じる、疑うではなく、自らの認識の方法の検証に進むはずだ。しかしその検証の過程には何時も「
不確定性原理」が付いてまわっている。誤差を恐れ初期設定にシビアになる日常が口を開けてまっているのだろう。そしてただ視点を変えるというパッシブなものでもなく、意識とは新たな視点に次々にスイッチングしていく、まさしくその「過程」だと気付くのかもしれない。新たな視座から見える断面(影絵)とは有る意味、民主主義的日常とは必然的にかけ離れたものになるだろう。そんな個人的「思い」「思考実験」を的確に伝える言葉を我々はまだ日常会話で持ってはいないから。だからその影絵を示すために補助線が必要なのだ。日常会話に補助線を入れ込まなければならないのだ。また補助線はフリーハンドでいつでも引けなければ補助線として機能しないものはのだ。だからそれを問題にしたいのだ。膨大な時間と労力をかければ月にも行けるしシンクロサイクロトロンも原発もグーグルマップもできる。そうゆう方法だけではなく、我々の日常のピンクノイズの中から、其の時其の時必要な情報をつかみ出すアプリを私たちは日々選択している。それが補助線をひく方法であり、私たちはそれを日常の中で実験的にで検証しているだけなのだ。
子供の絵に顕著なように、美しさの中の一面にはすなおさ、自然さ、ストレートさ、がある。
作家の制作時の意識の動きがすなおで、自然で、ストレートなときほど作品は美しい。
佐藤さんのここ1年間の
blogに書かれている、自分の子供や奥さんに向ける視線の優しさ。
家族に向けるまなざしのすなおさ、自然さ、ストレートさ、が流木のテクスチュアにあると思った。
あえて性器を描いている作品もしかり。ただディスプレイの方法が、心ない人々にとって誤解を招きやすかったとも言えるが、そのデッサンのラインは性の商品化の方向性と全く逆のベクトルを放っていた。
そこに作者がしかけた一つの罠がある。それを戦略的と言ってみたのだ。
いや南伊豆という状況では、その罠を仕掛けざるを得なかったとも言えるかもしれない。
後の芥川賞作家
赤瀬川 原平(=尾辻克彦)も参加していたことで有名な、
読売アンデパンダン展は読売新聞という巨大メディアによる新人発掘の為の無審査出品制の美術展覧会(1949年 - 1963年)。今はそれからもう半世紀も経とうとしている・・・かわいやらしい萌えの時代・・・。

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