雪、そんなじゃなかったですね。
でも、朝5時半から除雪。
車庫前は少し山になっていました。
このくらいで済めば楽なほうですね。
正月に高校バレーを観ていてちょっと気になった場面。
サーブのミスをした選手
少しベンチのほうに行って、監督にペコリ。謝罪?
う〜ん、真意はよくわからないですけど、ミスをして謝るのは仲間じゃないのか?
その学校は、まずは監督に謝らないといけない雰囲気なのか?
頭を下げた理由がよくわからないですから何とも言えないですけど、第三者の目には
ミスすると怒られるから謝罪する
そんな風に見えました。
同列に扱ってはいけないんでしょうけど、東大前で高校2年生が刃物を振り回したりした傷害事件。
あれも、結局のところ成績不振が理由として、追い詰められたからなんでしょうね。
目標が医師になること
素晴らしい目標です。
自分が決めたのかなぁ?
でも、目標って最終的には幸せな人生を送るための手段。
受験はその手段を達成するための手段。
手段はたくさんあるんですけどね。
でもそれが見えなくなるほど追い詰められたってこと?
橋下徹さんは
『少年事件ですから、刑事事件にならない限りは社会的な更生を目指していくのが第一目標になるんですが、ただあまりにも身勝手すぎ。
今、自己責任というと批判される風潮があるんですけど、基本的には人生は自己責任が原則であり、ただ家庭の経済環境や親の虐待問題などあるから、社会がサポートしなきゃいけないけど、自分の人生を歩むうえでいろんな悩みがあるかわからいないけど、社会の責任にするというのは違うよということを明確に言っていかなきゃいけないと思う。
自己責任というと冷たい言い方だからといって自分の責任じゃないんだよという部分が強くなりすぎているという風潮を、危惧しています』
といったコメントをしています。
さすが弁護士さん。
ごもっともで正論です。
でもね、これ言われるとますます逃げ道なくなっちゃう気がするんですよね。
追い詰めるのは誰?
一番身近な人間だとしたら逃げ道、本当になくなりますから。
高校生という、まだまだ狭い社会の住人。
最終的には自己責任という考えはきちんと伝えてあげないといけないんでしょうけど、それと同時に、そこまで人を追い詰めてはいけないということも社会全体に伝えていかなければいけないんだと思います。
失敗したらどうしよう?
失敗したら謝らなくては。
失敗がいけないのは当たり前。
でも、そこから学ぶことができないことはもっといけないこと。
成功した人、力のある人、そういった人たちが影響を与える社会全体で
成長するためのプレッシャーと、聞く耳もたなくなるくらいの追い詰め方の違い、境界線をよく把握しておく、
そんなことが必要になってくると思うのですが・・・
難しい問題ですね。
自分のやっていることをもう一度振り返ってみます。

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