夜、外を歩いていると、涼しいというより寒い感じ。
ほんのちょっと前までは半そで・ハーフパンツだったのに、もうそれでは無理。
季節は確実に秋です。
トレーニングで真夏ほど給水のタイミングを神経質にならなくてもよくなりました。
どちらかといえば判断力とか、そういったものを重視たものが多く、体力的に追い込むようなものは少ないほうですからそこにきて2〜3分タイミングがずれても問題ないようにはしているんですけどね。
それでも、選手から
『給水したい』
って声が上がります。
自分の意見をきちんという
悪くはいんですけど・・・
給水に限らず、苦しさを表現する言葉、結構耳にします。
苦しいから簡単にあきらめたり
休んだり
そんな姿も。
すべての選手がということではないですけどね。
スポーツですから楽しく!
それは十分納得していますし、そのようにトレーニングできるように工夫もしているつもり。
でもね、
スポーツに求めるもの、それだけでいいの?
強さはいらないの?
苦しいことに負けない強さ、
そういうことはいらない?
楽しいだけでいい?
もうそんなこと言うのは時代遅れなんでしょうか?
ただただ、自分が楽しければ
言葉は悪いですけど、自分だけがいい思いすることが出来ればそれでいいの?
もしそういう時代なら、もう私のような指導者は必要なくなってきます。
最近は親ガチャなんて言葉が流行っています。
子どもの立場から「親は自分では選べない」「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」
そんな意味らしいです。
ガチャ
は、何が出るかわからない、ガチャガチャから来ているんですか?
小学生の選手は、自分で指導者を選べませんからね。
楽しさだけを求める選手は、
サッカーで
苦しいことに負けない強さ
とか、
強さがあるからこそできる仲間に対する思いやり
そか、
そんなものを求めるおっさんは
ガチャで外れた指導者なのかも。
指導者ガチャ
そんなごとを言われる時代が来るのかも。
もう来ているかも。
外れと思われても
それでもやっぱり、サッカーを通して
たくさんの素晴らしいことを身につけてほしいと思っています。
素晴らし事ってのは私の価値観ですけど、
それでもそういったものを求め続けたいですね。
そのうえで、
指導者ガチャ、外れ
って思われるのであれば、この世界から去らなければいけないでしょう。
もう少し長くとどまりたいんですけどね。
とどまれることをもう少し期待しています。

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