明るくなるのが早くなって
朝早くから目が覚めるけどいざおきたら眠いzzz最近そんな日が多いんですけど、やっぱり歳のせい?
今朝もそんな感じですけど、昨日美味しく飲めたのでなんか心地良さが残っています。
昨晩は久しぶりの勉強会。
平日なので小規模勉強会です。
お酒の力を借りるって、あんまりいい表現ではないかもしれませんけど、お酒の力のおかげもあって非常にい会話を楽しめます。
いつもそうですけど、皆さんとの会話が、自分のなんか形にしにくかった方向性とか考えを整理してくれます。
年齢とともに社会から求めれれるものって変わってきていると思うんですよね。
自分の置かれた環境によってもそう。
何のためのサッカーなのか?
深い部分で考えたときに
この年齢になってくると
見えない物のため、見えない者のために一生懸命働くこと
そんなことが大切なんじゃないかって思いました。
見えている物のため、目の前の選手のため、それは当たり前に大切なこと。
でも、たとえば今小学校1年生の選手の大人になっての成功した姿なんて見ることできません。
いま中学生になった選手が高校に行って、凄く頑張っている姿も残念ながら見るチャンスって少ないはず。
形のはっきりした成果を出せば自分の評価が上がります。
サッカーでも会社の仕事でもそのあたりは一緒。
目に見える評価を得た人は確かに会社でもサッカーでもそれなりのステイタスを得ることができますからより一層目に見える成果を求めがち。
でもね、
目に見える成果なんてほんの一握り。
こちらが選手の評価する時にはそのほんの一握りの、見えにくい部分をきちんと評価してあげなければいけないのでしょうけど、
年齢が下であればそういった評価してもらうことがモティベーションになることもそれは正しいことなんでしょうけど、
この歳になってくると、他の人が評価してくれなかったり、だれもが気付かなかったり、
自分で成果を見ることができないもの
10年後、20年後の選手の未来であったり、
子供や場合によっては孫のための環境活動だったり
そんなものに真剣に取り組むことができる、それが今自分が置かれた立場や年齢において求められるものなんじゃないかと思います。
そう言えば渥美清さん演じる寅さんがよく使っていましたよね。
『お天道様は見ているぜ!』
この歳になるとこの言葉が身にしみます。
悪いことはできないって意味でよくつかわれますけど、
逆もありですよね。
素晴らしい事をしていれば、だれも見てくれなくて、だれもきちんと評価してくれなくても、成果を見ることができないかもしれないけど、
でも
『お天道様は見てくれています』
残りの人生、どれだけあるかわかりませんけど、
見えない者のため、物のため
お天道様に恥じない生きざま
そんなものを目指したいものです。

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