フランスでのローラン・リュキエ氏の発言が色々波紋を呼んでいるみたいですね。
日本代表ゴールキーパーの川島選手が4本腕になっている合成写真を作る、
ここまでは驚異的なプレーを褒め称えるという意味にも受け取れますが、原発事故での放射能漏れと結びつけたことに対して当然のように抗議が殺到とか。
まあ、当たり前の反応でしょう。
こういった発言をしたらこんな反応になるってこと、予測できなかったんでしょうか?
たしかに、悪気があるとか、被害者を揶揄するって気持ちはなかったんだと思いますけど、配慮に欠けた発言であったことは確か。
で、しかも、テレビ局が謝罪したことに対して
「表現の自由」
とか、
「言葉狩りをやめよう」
って開き直っているみたいですね。
まあ、言葉尻をとらえてって言えば言えなくはないんでしょうけど・・・
冗談って言えば冗談、
ふざけているって言えばふざけているだけ。
いじめ問題とかで、
「ふざけていただけ」
っていういい訳、よくニュース等で耳にしますが、なんかそれに似ている気がします。
日本のお笑い芸人なんかでもよくありますが、笑いをとるために他の人を陥れるような表現、どこにでもあるようです。
受けるために子供じみた表現をする、世界中であることなんですね。
学校の先生なんかの失言も受け狙いのものが多くて失敗しているんじゃないでしょうか?
自分の発言がどういった状況を生み出すのか考えて口から発する、公共の電波を利用する大人だったらそのくらいは考えて話してほしいものです。
それにしても、あの合成画像
惜しいって言えば惜しいんですよね。
腕を4本ではなく6本にして、
「日本人の多くが信仰する仏教では、神(仏)に戦いを挑んだ阿修羅という神がいるそうですが、まるでその阿修羅を思い起こすような“阿修羅のごとく”フランスの猛攻を止めた!」
みたいな表現であれば、最高の褒め言葉になったのに。
歴史的背景とか、きちんと考慮しておけばよかったのにね。
まあ、褒めたくなくって、負けた腹いせがあったから自然とあんな表現になったんでしょうけど。
日本人もそうですけど、メディアを通しての発言がボーダーレスになった今、色々な発言をする際に対象の文化や今おかれている環境を考慮することがますます必要になってくるでしょう。
気持ちや考えを伝えることが目的で、受けることを目的じゃないってことをはき違えないようにしなければいけないってこと、もしかしたら私たち指導者もよく考えなければいけないですね。
意外と自分もやっていそうですから。
歴史的背景とかきちんと考慮できる、教養ある言葉を使いたいですね。

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