なんだかんだ年齢を重ねてくると、
「最近の若い親は」
とかっていうふうに考えてしまう悪い面があります。
自分の感覚と違う事があるとどうしてもそう言った方向に考えが行ってしまうが、良く考えたら多くは個人の問題。
たしかに風潮や価値観の変化はあるかもしれないが、
「最近の若い・・・」
と言う、十把一絡げな表現は間違いですよね。
ちょっと、
「いまの常識ってそうなのかなぁ・・・」
ってことがあったので、ついつい。
我々世代や、そのまた上の世代の人間がみんなしっかりしていたかと言えば決して私を含めてそうではありません。
しっかりしている親もいれば、ダメな親もいる。
京都の事故の親なんて、間違いなくダメな親の部類に入ると思います。
でも、親としての能力がダメなんであって、人間性とか、優しさとか、そう言った部分がすべてダメってわけではないケースもたくさんあると思うんです。
正しいこと、思いやりのある行為、優しさ
それらは気持ちだけでは行動に移せない場面がたくさんあります。
正しいことでも、それを表現するちからが無いとできないってことたくさんありますよね。
たとえば、暴漢に襲われている人がいて、その人を助けようと思っても体が恐怖で動かないってこと、多くあります。
勇気を持って立ち向かっても、力が無ければ助けることができません。
サッカーでも、仲間をカバーしてあげたいと思ってもその技術や体力がなければできませんよね。
頑張ってディフェンスをしている仲間のためにゴールを決めてあげたいって言う優しい気持ちがあっても、こちらも技術やサッカー選手としての能力が無ければ無理です。
「力なき正義は無力 正義なき力は暴力」
少林寺拳法の開祖の言葉です。
親にも当てはまると思います。
もしかしたら優しくて、温情のある、人間性のいい人でも、それを表現する力や技術が無ければ子供に伝わらないほうが多いでしょう。
子供が道を逸れ始めたときに、正しい方向に戻す力が無ければ優しさはただの甘やかしになりかねません。
親である以上は、親としてのちからをつけなければ育てることはできません。
いい人だから子供がきちんと育つわけではないんですよね。
スポーツの指導をしていると、偉そうなことを言いながら実は自分の力の無さや未熟さを肌で感じることができます。そう言った場面をたくさん経験できます。
偉そうに
「人としてこうあるべきだ」
なんていう上から目線の押し付けではなく、
他の人たちがあまり経験できない多くの場面で学んだ経験とかを、これから子育てをしていく親の皆さんにも伝えてあげることができたらいいなって思います。
まあ、私の子育てが成功したかどうかって言えば???ですけどね。
失敗した部分も含めての情報提供者になれたらいいですね!

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