長岡高専での転落事故、息子や娘を持つ親としては非常に聞いていて辛いニュースです。
どちらの親も、大切に育ててきたのでしょう。
それをこういった形で無くしてしまうという事はおそらくは今後一生癒されることのない深い傷、悲しみ、そして自責の念。
子供たちは、もっと自分のことを大切に思っている人がいるという事、その人たちを悲しませることはいけないという事を忘れないでもらいたいと思います。
こういったことが起きたときに、ネット関係は結構素早く情報収集できて便利なものです。
最近ではツイッターあたりがリアルタイムな情報を与えてくれて便利ではあるのですが…
長岡高専、知り合いの子どもも何人か通っている学校なのでやはり心配でいろいろ検索してみたところ、同じ学校の生徒のつぶやきなのでしょう。
大変に不謹慎なものもいくつか見つかりました。
ちょうど昨日は期末テストだったようです。
「誰か落ちたみたいで、警察がたくさん来ています。どうせならこのままテストが中止になってくれるといいのですが」
こんな内容のつぶやきがありました。
テスト中止を期待する気持ち、確かに頭をよぎることはあるでしょう。
でも、自分の素性も特定される媒体で、記録に残る方法、しかも人目に触れるこういった媒体にこのようなことを書くことに対して、ブレーキはかからないのだろうか?
不謹慎な発言
そういった発想自体がメディアなどでもだんだん無くなりつつある気がします。
自分の知らないところで人が亡くなることに特別な感情を抱くことはできないでしょう。
でも、自分が通っている学校で、同じ学校に通う人間が命を落とすかもしれないという状況で、それよりも自分の成績に係わるテストの心配をしている自分に対しての自己嫌悪は無いのだろうか?
自分の利益が一番大事?
ネット上だから何でもあり?
自分の発言には責任を持たない?
そんな風潮、このところずっと続いています。
私自身もブログという形で好き勝手なことを言わせてもらっています。
でも、少し調べれば素性も明らかになるようになっていますし、どんな批判も受け止める覚悟で描いています。批判があっても削除しようとも思いません。(商業目的だったり怪しいものは削除しますが)
非常に便利な媒体ですので利用させてもらっていますが、どうも使い方が間違っている人たちが多い気がしてなりません。
中学生、高校生の年代では物の価値観がまだまだきちんと固まっていません。
すべての人間が同じ価値観で、同じ思想を持つなんてことは必要ありません。
でも、最低限、人の生き死にを笑いものにすることはいけないという事。
人の命はなによりも重いという事。
もしそれが失われたときに、悲しむ人がたくさんいるという事。
そして、悲しむ人を作ってはいけないという事。
そういった価値観は持つべきだと思います。
自分の利益を重視して、何が正しいかをきちんと教えない大人の責任でもあるのですが…

5