暑さもちょっとひと段落でしょうか。
芝生もそうですが、農作物にも恵みの雨になっているようです。
先日うちの奥さんが会社で聞いてきたと言って微笑ましい話をしてくれました。
「うちの爺ちゃん、孫は一日中テレビの前でゴロゴロしているかゲームしているかだってブツブツ言うんだよね。なのに、外に遊びに行こうとすると『こんな暑っちぇーときに、外なんか出るんじゃねー!』って怒るんだよ(笑)孫はどうしていいかわかんないよね」
爺ちゃんなりに、孫を気遣ってのことでしょう。よくある光景です。我が家も似たようなものです。想像すると、微笑ましい光景ではありますよね。
でも、これが親子関係ということになると少し笑っていられない時もあるようです。
先日も紹介した加藤諦三さんの本でも似たようなことが書いてありました。
たとえば男の子の場合、多くの親は男らしくなることを子供に求めて積極的に外に出かけることを勧める。しかし、その一方で自分を頼らなくなってきて、一緒に出かけたり目の届くところで遊ぶということがなくなると不満を感じる。
子供に対して自立と親に依存することといった矛盾することを要求してしまう。
言語としては自立を求めているのに、精神的には依存という相反するものを求められた子供。
精神的に依存を求められていると気付いてしまう子供は大変である。
どちらの行動にも言語としての自立といったことに従いながらも、精神的に求められている依存を感じ取っているから自立することに罪悪感や不安を覚えてしまう。
こんなケース、ご父兄の皆さんには無いでしょうか?
我が家にも思い当たる節はありました。
程度問題として、精神的な部分が伝わるほどかどうかはわかりませんがなかなかゼロにはできないというのが現状ではないでしょうか?
こういうことを書くとご批判を浴びそうですが、どちらかというとお母さんの方がこういった傾向が強そうに感じます。
「ちゃんと自分でしなさい!」
って言っておきながら、ちょっとできないとついつい自分で手を出してしまう。
「甘えん坊で」
って言いながら、実は自分が子供に依存して子供について回っている。子供を放り出せない。
感受性が強い子だったり、頭のいい子などでこういった自立と依存といった矛盾した要求をし続けると自我が形成されずに育ってしまい大変なことになってしまいます。
子育てって予行練習とか経験を積むことができないだけに難しいですよね!
サッカーの指導でも同じことが言えるかもしれません。
我々は昔からゲーム中にあまり指示を出しません。
練習中もそう。
選手に気付いてほしい、自分できちんと考えることができるようになってほしい。
そう思うからこそ指示を極力控えています。
これはどんな試合でも一緒。
大会のグレードによって変えるなてことはありません。
大会のグレードなんて、食材の値段と一緒。
高い食材が美味しくて、安い食材が美味しくないかと言えばそうではありません。
安くても美味しイワシはありますし、高くてもそれほど美味しくないマグロもあります。好みや季節によっても代わりますしね。
経済や大人の価値観であって、どんな試合、大会でも子供のためになるという部分は一緒。利用するという言葉は悪いですが、目いっぱい子供のために利用させてもらいます。
指示を出さないのは決して手を抜いているわけではなく選手の自立を求めているからなんです。
ついつい答えを言ってしまう事もあります。
「ちゃんと考えろ!」
って言いながら、ベンチからあれこれ指示を細かく出しているチーム、結構見ますよね!
指示を出しながらも選手がその通りに動かず、それに左右されずに判断することを求めている指導者のお話を聞いたことがありますのでそれぞれの指導者の考えを尊重したいと思います。
でも、我々の手法は前述したように黙って座っているだけ。
そうやって自立していってもらいたいと思っています。
自分の子供に矛盾したものを求めてしまうご父兄の皆さん。
サッカーをしているときはできる限り矛盾を求めないようにしていますからご安心を。
自分の子どもじゃないからこそできることもあります。
我々のような存在の利用価値はそんなところではないでしょうか。
上手にご利用ください!

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