朝青龍のガッツポーズ、結局お咎めなしですか?
相撲協会も保身に走っているので甘い裁定しかできないのでしょうね。
競技として、神事として、興行として、すべてを成立させようということは確かに難しいのでしょう。
競技として、興行としてという事を考えるとあれほどありがたい横綱はいないのではないでしょうか。
要は、日本文化を世界に広げるためではなく、お金を含めた欲のために簡単に強くなりそうな外国人力士を呼んできたという根性がそもそも間違っている気がします。
そういった行為を繰り返していながら、自分たちで、やれ品格だどうのこうの言ってももう手遅れなんでしょうね。
こういった話が出たときにいつも思い出すのは東京オリンピックでのアントンヘーシンクが優勝を決めた瞬間の逸話。
喜びのあまり試合場に入りそうになったコーチを、
「礼が終わっていない」
と自ら制した姿はよくテレビでも放送されています。
「残心」
をきちんと理解していたからこその行為でしょう。
外国人だから日本文化を理解できないのではなく、きちんと伝えていない、伝えることのできないことのほうが問題なのでしょう。
スポーツ的な表現をするなら、指導者の質というところでしょうか。
少年サッカーの指導のスタイルとしては様々なものがあっていいと思いますのでどのやり方がいいという表現はしたくありません。
私のスタイルはどちらかといえば試合中はベンチで無言で見ているだけ。
場合によってはシュートが入っても喜ばない。
ご父兄の方からはもしかしたら、冷たいとかやる気がないというように見えるのかもしれません。
基本的には子供の成長を見守るために目先のことに一喜一憂しないということを心がけていますのでどうしても感情表現が希薄になるのかもしれません。
相撲、柔道、サッカー、どれも相手がいて成立します。
相手がいること、試合ができることに感謝する、試合や相手、仲間をリスペクト(尊敬)するという事を子供のうちから当たり前にできるようになってもらいたいものです。
こういった考えは日本だけの考えなのかどうかはわかりませんが、私はそれが正しいと思っています。
“敵”ではなく、自分を成長させてくれる“相手”であるという考え方、甘っちょろい考えかもしれませんが子供たちに浸透していってもらいたいものです。
抑えきれない喜びの感情があることは悪いことではありませんが、そんな中で相手の気持ちや今おかれている状況を考えることのできる選手になってもらいたい、朝青龍のニュースを見てふと思いました。

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