前回の投稿で「他山の石」という言葉を使いましたが、どうも使い方を間違っていたようです。
よく使い方を間違えている言葉に含まれていたような気がしたので調べてみたら、やっぱり違っていました。反省!
「他山の石」とは、中国の「詩経」に出てくる言葉で、よその山でとれた粗悪な石でも自分の宝石を磨くには役に立つ、という意味で、どんな些細なことでも自分の教訓になるという意味です。
よそで起きたことで自分には関係のないこととして使ってしまうケースが私以外でも多くあるみたいですが、正反対の使い方でした。
「対岸の火事」とごちゃまぜにして覚えているケースが多いみたいですね。
したがって、前回の投稿で、
「他山の石にして眺めてはいけない…」
は、
「他山の石として学ばなければいけない」
と訂正させていただきます。
スポーツのトレーニングでも、勘違いが当たり前だったり、正反対のことを思いこんでいたりすることってたくさんあります。
過去の常識が現代の非常識なんてこともたくさんあります。
運動中に水を飲むな!
小学生のうさぎ跳び。
ほかにもたくさんあることでしょう。
筋肉に高いパフォーマンスを求めたときのスタティクストレッチも現在では逆効果という説が主流になってきています。
我々スポーツの指導に携わる人間としては、常に自分の常識、思い込みを疑う姿勢を忘れてはいけないと思います。
強い信念、一貫してぶれない指導者哲学、これは必要ですが、自分のやっていることは常にすべて正しいといった思い上がりが自分の成長を止めているのかもしれません。
指導者も成長し続けることを考えたときに、選手だけでなく自分を見つめる余裕が必要なのではないでしょうか。
他山の石として選手からも多くを学び、なおかつ自分の知識や思考の正しさを振り返る、そうあるべきだと思います。
頭では分かっていても、最近身の回りにいろんなことがありすぎて余裕がなくなって気ているのが…
なんとかせねば。

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