昨日は夜連の日。
チーム発足当初から個の強さという部分を求めているので1対1の練習に割く時間は多い。
パスよりもドリブル、自分で勝負を仕掛ける!チームの成績よりも個人の能力を重視しているからだが、それによる弊害もある。
すべての選手がそういうわけではないのだが、ゲームのときにボールと相手しか見ていない選手が多い。
1対1が1対1のための練習になっていた。
サッカーにおける1対1は一人抜いたら終わりではない。
もしかしたらほかの選手が来るかもしれない。
昔スラムダンクというマンガで流川楓が
「ワンonワンは強いが、バスケのうまさじゃない」
みたいなことを言われていたのを思い出す。
ということで、最近の1対1はグリッドの中で何組かのゴールが混在するようにオーガナイズしている。
相手も見なければいけないが、ほかの組の選手も見なければいけない。
少しずつこの練習にも慣れてきたのか、ちょっとずつだがボールと相手以外も見るようになってきた気がする。
柔道でも剣道でも1対1で戦うことしか基本的には想定していない。国技の相撲も当然そうである。
日本人はもしかして多対多の戦いでも1対1の時はほかの人が手を出さないということが正々堂々としているという文化があるのだろうか?(確かにそんな感覚、自分でもある気がする。)
もっとさかのぼれば、戦国時代の戦の時なんかはたぶん1対多だったり多対多をしていたはずだし、複数で一人を囲むなんてのも当たり前だったはず。
赤穂浪士も常に複数で一人を襲うようにしていたようだし、新撰組もそうだったようだ。
文化の中に柔道、剣道、相撲が組み込まれているのでついつい1対1というと柔道や剣道、相撲のような1対1をオーガナイズしがちだが、サッカーという競技はもともとがそんなに正々堂々戦うものではない。(この表現は適格ではないか?)
ずるさというとあまりいい意味に聞こえないが、ルールの中でのずるさは、賢さである。
サッカーを通して賢さを学びながら、サッカーもうまくなり、人間としても成長してもらえる、そんなトレーニングをたくさんやっていきたい。そうやって身に付けた賢さが上のカテゴリーで生きてくるはず。
けど、それ以外の場面でルールを逸脱したずるはダメだからね!

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