田植えも終わり、奥さんと二人でスーパーのウオロクまでお買い物に。
女子高生が制服でお買い物。
かごの中を見ると我々と同じように普通に日夕御飯の買い物みたいな様子。
えらいな〜と思いつつ、たぶん多くの人が似たような感想を持ったのではないだろうか。
そう考えたときに、自分の高校時代を振り返る。
私の母は私が中学2年生の時に亡くなっているので高校時代は自分で家族の食事を作っていた。
朝6時位に起きて自分の弁当と父の弁当を作る。
朝食はパンなのでさほど難しくない。
夕方、部活が終わっていったん帰宅してから近くのスーパーの原信まで自転車で買い物に行くのが毎日の日課。
雨の日や冬は歩きである。
今にして思うと、高校生くらいの男の子がスーパーで肉やら魚やら野菜やらを買い物する姿って、周りの人から見ると一種異様な風景だったんだと思う。
実際、そんな風景を見たら、いろいろ詮索してしまう。
どんなふうに思われていたんだろう。
毎日パンを買いに行くお店のおばさんは、たまに調理パンをサービスしてくれた。
我が家の境遇を知っていて同情してくれたようだ。けど、成長期だったので非常にうれしかった。
自分で言うのもなんだが、私の場合、身長も高いが比較的骨格がしっかりしていてがっしりした体形である。
高校時代に大体毎日1リットルのパックの牛乳を半分以上飲んでいたし、自分で作る食事は肉料理中心で高たん白だし、買い物するお金を預かっていた関係で比較的ほかの高校生よりもお金を持っていたということもあり、2時間目と3時間目の間に弁当を食べ、お昼にパンを買って食べ、夕食前につなぎでパンを食べ、高たん白な夕食をとっていた。
ほぼ毎日5食食べていた。
しかも、部活は技術よりも体力みたいな練習が多かったから、スポーツ選手の体作りには最高だったのかもしれない。
こういった家庭環境だったので、自然と料理もできるようになった。
母親が思春期に亡くなったということは、今考えればすごいハンディだったと思う。
性格的に、実際のところ明るくなりきれなかったりひがみっぽかったりといった部分はこのあたりが起因しているかもしれない。
結構、強くて優しい人だった。まだまだ甘えたかった年代だったのでそれが急に出来なくなったことはやはり当時はつらかったと思う。
ただ、周りで結構支えてくれる人がたくさんいたのでそんなにゆがみが出なかった気がする。
体作りであったり、料理ができることだったり、ウィークポイントがストロングポイントになったところはたくさんあった。今思えば、14歳までしっかり育ててもらったおかげで歪まずにここまでやってこれたのであろう。
サッカーの指導をしていても、自分と似た境遇の子は正直言って気になる部分はある。
もしかしたら、ほかの子よりも知らず知らず厳しく接しているかもしれない。
自分と重ね合わせてみている部分があるかもしれないからであろう。
身の上話は恥ずかしいのであまりしたくないのだが、スーパーで買い物をしている女の子を見て、つい昔のことを思い出した。
今日は母の日。
母親に感謝すると共に、ついついときには母親みたいに使ってしまう奥さんにも感謝することにしよう。

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