北京オリンピックも無事終了。(本当の意味で無事かどうかは???…)
色々日本でも問題点等が指摘されてきましたが、スポーツを指導するものとしては、テレビを通してとはいえ様々なジャンルの指導者の方の話を少しでも聞くチャンスがあるということは非常に有意義な事だ。
それにしても、オリンピックが商業主義といわれる様になって久しいが、選手の育成に関しても二極化してきているような気がした。
ひとつは昔からある貧困からの脱出の手段としてのスポーツ。
あまり裕福ではない国の選手が才能を認められることにより貧困から抜け出す。陸上の選手などはこのパターンが多いようだ。
もうひとつは、スポンサーがついて小さいころから手厚く育てられてきたケース。
ここで言うスポンサーとは、場合によっては親であったり国であったり。
私たちもごく当たり前の感覚になっているかもしれないが、毎月5000円も6000円も払って子供にスポーツをさせてあげる。(遠征費などを含めるともっとか)
小学生レベルではスイミングとサッカーなどといった複数の習いものをする事は珍しくない。
親が子供を応援するのは当たり前かもしれないが、経済的にも時間的にも、そういった意味での手厚い援助が無いと高いレベルで通用しなくなってきているような気がした。
スポーツを始めるには確かに早いほうがいい。ゴールデンエイジといわれる年代により良いトレーニングを積むことは非常に大切。我々も、常にそういったことは心がけている。
日本選手にかぎって言えば、水泳や体操、レスリングなどメダルをとった選手はおそらく幼稚園、保育園の年代から一日も休まず(親がコーチや選手と言ったケースも目立った気がする)練習してきたといったエピソードが多かった気がする。
お金の面も含めてそういった環境にある選手だけしか生き残れなくなってきているのであれば、親の仕事が毎晩遅いといった家庭の子はスポーツ選手を目指せなくなるのだろうか?
逆に、加熱しすぎて、表面的な部分だけを見て子供に厳しい練習を強要する親が出てくるかもしれない。
華やかな結果だけを見て、表面的な部分だけ真似する親が全国に増殖しないか心配だ。
日本選手団の団長さんの苦言に対しては、いろんな立場があるのでコメントしにくい部分もあるが、サッカーに関して言えば現状では単に力不足と言うだけで、準備がどうこうという事ではないような気がするが。
アルゼンチンだって最後までメッシが出る、出ないでもめていたし。
他の競技ではオリンピックは最高の舞台かもしれないが、サッカーに関しては年齢制限ありの育成のための大会という位置づけ、国の威信をかける場ではないといった考えがあるのだろう。それはそれで間違った考えとも思わない。
ただ、こんかいの敗因に関してはそんな事や、準備がどうこう、反町監督の采配が云々よりも、単に「日本サッカー」の力不足だと思うのだが。
原因の追究は大切だが、結果を素直に、謙虚に受け止めることも大切だと思う。
オリンピックでの敗戦がフル代表の教訓になってくれるといいのだが。
大きなイベントのときはどうしても専門外の評論家が増える。
自分もその1人かもしれないが聞いていると的外れだったり、意外と的を射ていたり。
野球の金メダル、韓国代表を「高校野球みたい」とラジオの女性アナウンサーが言っていたが、素晴しい感性。そういったもろもろの部分を含めて楽しむのがオリンピックの楽しみ方になってきているのかもしれない。純粋に競技を楽しんだり感動したりといった事が減ってきていることは寂しい気がするが…

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