
見上げれば、多摩丘陵の高台に観覧車、市内を俯瞰する乗物は街の飾り物であり、ステータスでもあったがその多摩テックも今月9月で閉園になってしまう。
日野に越してきて、多摩テックがしっかりと生活の中に根を降ろした大事なフィールドでもあり我が家の歴史でもあった。
初めてハンドルを握り、ドキドキしながら、走りはじめ、自分で乗物を動かすことの出来ることを体感し、移動する乗物から目に入る別世界に、感動を呼んだ。
子供達が乗物に乗り、自分で運転し、新たな世界を体感したのも此処から始まった。
市内から子供会の集団の一員として、隊列を組み、多摩テックまで登り、飯盒炊飯でカレーライスを作り、ワイワイガヤガヤと賑やかに手作りのアウトドアの世界を楽しみ、小屋で一晩過ごしたことなど、鮮明に記憶に残る。
その子供達も独立し、我が家から離れていった。孫が誕生し、自分達が楽しんだように家族で時折多摩テックに訪れ、楽しんだ。
その孫が一通り乗物を乗りこなし、夢中になる世代に成長し、じいじに顔写真入りの免許証まで見せて貰った。
親から含め、とうとう3世代も此処で関わり持った。

隆盛を誇った多摩テックも、一時のピークから比べると客足も落ち、取り分け平日は閑散としてきた。
そんな折、世の中不況の風が吹き荒れ、多摩テックも容赦なく不況が襲いかかり、閉鎖がアナウスされた。
皮肉な事に、此処で育ち、想い出を作った人達がそんなアナウスに、誘われたのか、昔を確かめるように、賑わいを見せ、混雑するようになった。半世紀余り、日野の看板として、多摩テックに人を呼び、楽しませたが、後僅かで、惜しまれつつ、遂に役割を終え、幕引きを迎える。
ああ〜あの観覧車も止まり、やがてその姿も消えてしまうのであろうか、寂しい限りである。

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