
夕闇を迫るころ、柔らかい日差しが建物の側面を照らしている
遮る構造物がないため、5階の病院の一番縁から、東京の西の外れ多摩の世界が大パノラマとなって俯瞰できる。
退屈な病院生活に時間の追われることなく、この開けた眺望を楽しめることが、出来る唯一の空間である。
今日を最後に、ガラス張りの隔離拘留されたこの高所から、眼下の地上に降り、娑婆の世界に出られる。
◇閉じられた空間
今、立っている病院の5階、6階は両階併せ、大凡400人が収容されている。
外来含め入院する患者の治癒に手腕を委ねる専門医と患者を24h看護する看護婦、それに関連するスタッフの、大集団が患者の治癒に関わっている。
入院した400人分の患者の3食の食事を、徹底したカロリーコントロールの元、建屋内の食堂工場で料理し、配膳するスタッフで入院生活を支えている。
長期に闘病する患者も居れば、病状に一応の目鼻がつけば、さっさと送り出されるが、救急や順番待ちの患者に直ぐ埋まってしまう。
収容される、患者の病状から、重度もあれば退院を控える軽度の方も居られるが、その殆どがベットの世界に張り付き、カーテンは閉じられ、閉鎖的空気に覆われている
時々訪れる看護婦と治癒に関わる対話が唯一の寂しい世界である。それ以外は閉じられた空間に治癒に専念し、ひたすら退院を待ち続け、我慢我慢と息の詰まる毎日である。
◇旅立ち
やっとこの日が迎えられた
退院と言っても特に迎えを頼んだ訳ではないが、拝にとっては大きなハードルを越える、大事な節目、こんな時だからこそ、せめて禊ぎと思いついた。
救急の出戻り入院後は全く、出来なかった入浴で、総てリセットしたかった。
朝、9時から、何とも贅沢な一番風呂である。

予約制であるが、元よりこんな時間に誰も利用者はいない。
浴槽に湯を張り、頃合いを見図りドボンと飛び込み、湯に浸かり、『悠々閑々』と思考の世界に入る。
無我の境地に浸り、此処で起きた、身に降りかかった事件、体験が走馬灯のように駆けめぐる。
悪病神も最早これまでと、汚れきった垢と共に綺麗さっぱりと洗い流し、身も心も清新な気分になる。
部屋に戻り、余り進まなかった書籍や身の回りの品々を漸やっと詰め込み、バックは来院時と同様パンパンに膨れ上がっている。
再び戻ることも無いので、旧病室に行き、隣席のベットの患者に挨拶する。当人は近々、退院と豪語していたが、カテーテルで管状の医療器具が巻き付き、病状はそれ所ではなかった。
交わす言葉も少なく、洋々と引き上げる姿は、返ってまずかったかなと、複雑な思いで、退室する。
重いバックを下げ、ナースセンター前を通過するも、パソコンに向き合い、素知らぬ顔の冷めたナースに何の感情も湧かず脱兎の如く、階下に降りる。

重い荷物に、タクシーと思ったが、長い行列。此処に居るより、早く出たい、落ち葉散り、紅葉真っ盛りの華やかな花道の中央公園に入り病院を後にする。
娑婆の空気を思い切り吸い、土の大地を確かめながら、先ずは解放感の喜びを甘受する。一歩一歩重い荷物を喘ぎながら、担ぎ、我が家に帰る。

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