
静かな住宅地の朝、時ならぬサイレンが、静寂を破るように響き渡り、徐々に近づいて来る事が判り、家の近くで止まった。
向こう三軒両隣のご主人が倒れ、そのまま立川の国立災害医療センターに搬送された。
ご主人とは飲みとも、つい二、三日前、その内に一献交わそうかと話していた矢先、突然のことであった。
脳梗塞で、時間との勝負、処置が早かったので、一命は取り留めたが、半身付随と言う重荷を背負ってしまった。
ご家族の了解を得て、医療センターに見舞いに行く。
仕切られたカーテン越しに、覗くと、気持ちよく寝ていた。
悪いとは思いつつ、夢の中から覚ましてしまい、面前に思いも寄らぬ、じじいの顔にびっくり、認識するまでにかなりの間があった。
そっと、差し出す手に自然と握手を、にこにこした表情に温かく迎い入れてくれた。
ご覧の通り、情けねえ姿で、残念無念と、身動き取れぬ体に管が走り、トイレも行けない状態に悔しがっていた。
病床に閉じられ、拘束された状態に、話し相手も少なかった。社交的で話し好きの御仁ともあって、たたみかける様に一気に喋り始めたが、空転していた。言葉にならず、その一部しか聞き取ることが出来なかった。
一生懸命、聞き耳をたて、頷いたが、遠い宇宙空間と交信するようであった。
聞く方は100%、判っているようであるが、言語にも障害が起きており、その表情から、理解しようと思ったが、話しが繋がらなかった。
リハビリでどの程度、復元出来るのか、あの長島監督も倒れて以来かなりの時間が経ち、時々、メデアに登場するが不自由な手を抱え、現役時代の、あのきんきん声には程遠い。
現役時代は野球で鍛えた、筋金入りの体、きっと戻ると願いつつ「直った暁には焼き鳥に焼酎で一杯、またやろう」
ベットの脇に座り続け、今回は顔見せだけであるが、温和な表情と手の温もりの感触に触れられただけでも、見舞いの目的は達せられた。
これ以上は当人に負担になるだろうと、早々に引き揚げた。

国立の立派な災害医療センターは似た様な重症患者が大勢のスタッフに囲まれて、所狭しと廊下で搬送され、その名の如く、危急な患者さんをしっかり守り続けている。
駅から20分、昭和記念公園に隣接する場所は大きな道路が整備され、新しい建物がドンドン建ち、新しい街づくりに変って行く様子が伺える。
駅のコンコースは足早に歩く、人の群れ、もう1カ月もなく、2013年は終わってしまう。

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