HP100,OOOヒットの代表は北海道旅行を舞台としたドラマの出会いでもあった。

黒板五郎(田中邦衛)は都会で生まれ育った純と蛍を連れ、五郎の生まれ故郷のここ麓郷に帰った所で廃屋同然の実家を修理して生活を始める人里離れた、厳しい自然の中でどう生き、子供たちが育っていくかを、描いた「北の国から」物語。
昭和56年(1981年)フアンの後押しもあって、高視聴率に支えられ延々と続き何と21年間にも渡る超大作であった。
この間、出演者が亡くなるなど、ドラマの経過が関わる役者の生涯記録に繋がる、歴史的な作品だったのである。
その暮らした生活臭がリアルな形で残され、物語に直に触れ合う事が出来た。

鉄道員として誇りと気概を持ち、職務に忠実に尽くし、娘・妻に十分寄り添うことなく失った家族への残痕の想い。
雪降り積もる夜の駅舎に忽然と失ったはずの娘(広末)がぽっぽ屋乙松(高倉建)の前に表れ、親と娘の再開に至福の時を過ごす。しかしそれも束の間、風の様に消え去ってしまう幻想の世界であった。
駅舎での最後を飾るシーンは何時までも脳裏に焼きつく感動を与えてくれた。・・・・(;o;)(;o;)涙
少ない客相手に幌舞駅前では「テネシーワルツ」が情緒たっぷりに流されていた。
その哀調に満ちたメロデーに見送られ幾寅駅に別れを告げた。

青森県柳町拘置所から、北海道の網走刑務所、最後は、府中刑務所に脱獄逃走を繰り返しに知恵と執念の脱走劇が残され最後は模範囚になり仮出所更正した実話。
「破獄」という題名のテレビドラマの主役である俳優緒方拳が肝臓ガンで亡くなったのも、旅行直後であった。
網走刑務所を時間をたっぷりかけて見学し、監獄食まで体感してきた場所でもあった。

道東を旅し、網走、女満別、釧網本線北浜、阿寒湖、など馴染みの景勝スポットが次々と登場し中国のラブコメデイ映画「非誠勿擾(フエイ チエン ウーラオ)」が2008年12月封切られた中国本土で大ヒットした。
そんな背景から、中国から大手旅行会社5社がロケ地を巡るツアーも実施され中国では道東に興味を持つ人が爆発的に増えた。
知床や阿寒湖のホテルや此処観光船など、観光地には必ず中国人の集団が多数居られるのも、「フエイチエン ウーラオ」がブームの火を付けた事が判った。比較的大人しくマナー良い日本人に対して、国情の違いから騒々しい彼らの存在は一際際立った存在であった。
車と旅路

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