
「耳鳴りがする。目眩がする、ちょっと検査してくる」
と言って、隣人Tさんは病院へ向かって1週間経ち、全然沙汰なしになってしまった。
同じ会社に居たものの、在職時代は余り、仕事では関わり無かったが退職後、ご近所の誼で、飲みに、山歩きなどお付き合いしているTさんである。
何度か留守宅へ伺ったが、何時も留守である。恐らく家族も付き添いであろうと想像していたが、その様子から余り、良からぬ方向の病状とはと推測はしていた。
それから暫くして、お家族から衝撃的な連絡を受ける。
原因が掴めぬまま、耳鼻科で診察を受けていたが、要領を得ず、検査施設の整った病院でMRIなどの検査をした結果、何と「脊髄小脳変性症」と判定された。
調べてみると神経細胞が破壊、消失していく病気で、運動神経がが徐々に衰退していくが薬では進行を遅らせるだけで根治は不可能である。
10年、20年の単位で徐々に進行していく、病気である。
「只今〜、1カ月の長い入院になってしまいました」
と、大きな声で本人から電話でのご挨拶があった。
元気さとは裏腹に口の回転は歯がゆいばかりに、口ごもる様子が電話口からはっきり伺え、喋る言葉さえ徐々に奪っていくようであった。
出来るだけ間延びせず、相手の伝えたい意志を引き出す形で、こちらかの話は控えめにと気遣いながらの重い電話であった。
電話口を通して、目の前のTさんに果たしてどう言葉を掛けてよいやら、言葉にならず電話口から伝わる言葉だけで、狼狽してしまった。
歩く事も不便になった。だからと言って歩く事を避けると、どんどん退化していくようであり、粘り強いリハビリへの挑戦が唯一残された道のようである。
本人曰く、日常付いて廻るように目眩は大分前からあったようで、その原因が判らぬままゆっくりした期間で、じわ〜と蝕まれていたようであった。
つい先頃まで老人介護で患者さんの輸送を行っていたのに、まさか是れ程急に、立場が逆転し介護される立場になるとは思ってもみなかった。
近代医学を持っても不治の病に改めて、無力であること、しかし時間と共に蝕まれていくTさんにただただうろたえるばかりであった。
写真は一昨年の青梅の寒梅に訪れた時の彼の姿である。山道を軽快に歩く後ろ姿はどうみても健康人そのもの、誰が今日を予想したか、もうそんな山歩きはかなえなくなってしまった。

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