
旧南多摩郡部から華の都、会場の東京駅へ来てしまった。
目の前は直ぐ皇居が見える丸ビル側、在来線からで行くと、改札を出ずに案内板を頼りにコンコースを目指すと途中に動く歩道迄用意された遥か彼方に京葉線の東京駅がある。
同じ東京駅なのに「いやあ〜遠〜いなあ〜」と思わずため息が出るほど、この巨大な連絡路は果てし無く続く。
地下の出口で迷ったが、何とか定刻前に会場に辿り着く。
用意された宴会場の前のエレベータホールに待たされるが、狭い空間に約150人程の参加者が次々に入ってくるので、その老人集団の熱気にたちまち熱くなる。
殆どが時間に拘束されない自由人。丸で競馬のゲートインのように、この日の為に気合が入れ込んでいる。その発散するエネルギーに多少の衰えもある年寄りでも、数が重なれば、その量は甚大である。
会社組織は離合・集散の繰り返しで、元々大きな塊であった会社が機能単位で分離しておりそのグループ配下の一つの会社である。
従って、集まる連中も、それぞれの生い立ちを持つ出身者の集まりで、大きく分ければ電機屋8割、その他が小生の出身母体の1〜2割である。従って同じ塊にありながら、その出身母体で自然と島が出来てしまう。
社長の挨拶、新聞でも報じられたフィルム電池。世界に先駆け先端技術として走っている様子に頼もしく思える。
宴もたけなわ、中央の料理テーブルを往復し、コップ片手に幾つかの島巡りに生存挨拶すると約1時間ちょっとで瞬く間に終わってしまう。
明日をも知れぬ運命であることも忘れさすぐらいに、此処に来られる人は元気である。
一方では何時も此処だけで挨拶する、常連仲間が2、3人が欠席されているのが気になる。
そこそこ挨拶して、流れ解散に、再び人込みにまみれ真っ直ぐ、帰還する。
帰りの電車でおもむろに渡された名簿リストを見る。最後の頁にこの1年の物故者が10名近くに及んでおり、改めて時間の経過が着実に進んでいることを思い知らされる。
その中に、昔の配電盤試験の「おすーさん」が載っていた。腰にドライバーを下げ、火力発電所の発電機の現地試験を鮮やかに切り回していた格好よいプロの姿が、何時までも残像に残っている。
色艶の良いヘッドの姿を此処のOB会で伺ったのに、全く信じられない。

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