太平洋戦争に於ける日・米 大型爆撃機の比較表
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1944年・ ボーイングB-29/ウィチタ工場の様子
(写真の左側も同じ光景か?)

2〜3年で3,970機生産したとすると、最低でも
日産4〜5機
( ボーイング社の他、GE、ノースアメリカン、ベル社 を含む )
現代の自動車工場並み?
比較例: トヨタの年間生産台数は800万台前後/〜50親工場?
=400台/日〜(全車種合算)
★
1945年6月1日?第2回大阪空襲(
509機のB29が飛来)
第3エンジンからオイル漏れしながら
大阪城の北側上空を東進(爆撃?)中のB29

( 写真下側が北: 白煙が上がっているのは柴島の南、大川〜都島の辺り )
戦後・大阪城ホール南側にある東外堀?が見当たらない
当時は軍需・砲弾工場が建っていた?
この頃・疎開先で生まれたとこ・なので、全く知らなかった
約3ヶ月前の 3月13・14日/第1回大空襲
( グアム・サイパンなどマリアナ諸島から発進した274機のB29)に始まり
以降、硫黄島・沖縄からのB29、空母艦載の爆撃戦闘機など
〜終戦前日の8月14日まで
大阪大空襲は・合計8回
死者の合計 約15,000人
( 東京の 1/10 ? )
空襲後の難波付近

左端は南海難波駅、右手前には松坂屋大阪店(現・高島屋東別館)
中央に大阪歌舞伎座が認められる、と(Wikipedia)
★ ★
B29など、日本本土爆撃機の発・着基地となった
「グアム・サイパン・テニアン・硫黄島・沖縄」の島々を
1944年〜1945年・アメリカ軍との戦いで失っていった
●は爆撃を受けた概略地点

経済企画庁(1949年)/日本戦災遺族会資料(2005年)
表は東京新聞サンデー版(1994年)
●は、現在Wikipediaに載っている430箇所の半分以下
余談: 真珠湾攻撃で名を馳せた源田実大佐/空将は
無差別爆撃の責任者・カーチス・ルメイに戦後
勲一等旭日大綬章を贈らせている
(理由; 自衛隊の育成に功績があった?!
自らもアメリカから叙勲:Legion of Merit)
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日本海軍・艦上爆撃・雷撃機とアメリカ海軍機との比較表

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動画
戦闘機:雷電(三菱)・四式線戦疾風(中島)//輸送機?富嶽 ✕2(中島)のRC機
2’30”から〜富嶽のRC模型 2タイプが飛行
( 赤は電動モータ駆動・・青はエンジン駆動 )
スバル自動車の元社員?(旧・中島飛行機)には、富嶽Love?爺が多い・・・
( 不可解 ・・ 解らないでもないが・・ )