2006/11/21
どんなものにも両面の真理がある。< 「ツチヤの軽はずみ」から、翻訳のパクリと、販促 >
( プロの文章は読みやすい。。 ) < その1 >
プロタゴラスは裁判に勝つための弁論術を教えていたが、
弟子の1人が授業料を払わないので、裁判に訴えた。
弟子は、「裁判に勝つ技術は教わらなかった」と反論した。
これに対して、プロタゴラスはこう主張した。
「もしわたしが裁判に勝ったら、弟子は判決に従って金を払う義務が
ある。 もし私が負けたら、弟子が裁判に勝つ技術を身につけたのだ
から、その謝礼を払う義務がある」
弟子も負けずに反論した。 「もしわたしが勝ったら、判決通り、
金を払う必要はない。 もし負けたら、裁判に勝つ技術を教わらな
かったことになるのだから、金を払う必要はない」
・・・ 判決は? ( 訴訟そのものが却下されて・示談になるのでしょうか。。)
前の日本国元首も、学生時代・クラブでこんな勉強や、実践(裁判)に励んでいたのかも。
< その2 >
両面の真理は、食事の仕方にもあるように思われる。出された料理を嫌いなものから順に食べる人と好きなものから順に食べる人に分かれるが、どちらにも理屈がある。
嫌いなものから食べる人の理屈はこうだ。
「好きなものを後に残すようにすると、一口食べるたびに前回口にしたものよりおいしいものを食べることになる。一口ごとにおいしさが増していくことになるのだ。逆に嫌いなものを後に残すと、一口ごとにまずくなる」
これに対し、好きなものから食べる人にも理屈がある。
「すきなものから食べると、目の前の料理のうちもっともおいしいものを食べ、その次も、残った料理のうちでもっともおいしいものを食べることになるのだから、つねに目の前の料理のうちもっともおいしいものを食べていることになる。逆に嫌いなものから食べる人は、つねに目の前の料理のうちもっともおいしくないものをたべていることになる」
さすが、哲学者の考えることは違う。 私は理屈など考えずに後者を実践していた。
そして、最近の若者といえば・・・ 嫌いなものは食べませんね。
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