小学校低学年の頃の話だ。
学校から帰ってくるなり、天地がひっくり返るほどの衝撃的な場面に出くわしたのだ。
愛犬が塀に吊され、今まさに瀕死の状態で息絶えようとしている。
...今でも鮮明に覚えている...そのときの情景そのとき思ったこと。
その日の朝、家を出て学校へ向かう私を、勢いよく飛び出してきて顔中を舐め回して見送ってくれた愛犬...。
しばらくじゃれ合ってから、それでも足下にしつこく食らいつく彼を
途中の道すがら、やっとのことで追い払い登校したのであった。
それは父の策略であった。
島では古くから、中国や韓国と同じように犬を食用とする習慣があった。
特に茶毛の犬は「赤犬」(アカイン)と呼ばれて美味であるということだ。
子犬のうちから子供達に育てさせ、大きくなったら食用として屠殺する。
屠殺は主に、近所で「インクルシャー」(犬の殺し屋)などの異名で呼ばれる男性によって行われる。
近所にもそうしたいかめしいオジサン達が複数人いて、食べ頃の犬を年中調べ歩いているのだ。
「エル」はその当時5年ほど飼ってた犬で、人なつっこく野山や海でも何処でもついてきた。
思い出は語り尽くせないほどで...その人なつっこさが子供だった私達兄弟をいつも癒してくれた。
父とインクルシャーの悪の結託会議は前夜の酒の席で既に決議していたらしい。
子供達がおのおのの学校へ登校したのを見計らって、インクルシャーの殺戮の手に「エル」を委ねたのだった。
5年の愛おしい時を共に過ごした「エル」は家の外塀に吊られ、しばらく足や身体を小刻みに痙攣させていたが、
帰宅したばかりの子供達の目の前でついにその動きを止めた。
父とインクルシャーは、バツが悪そうに吊り上げたロープから犬を下ろすと、
ずるずるとその遺体を引きずり、解体の準備をしに庭の土間へ向かった。
私はしばしその場にたたずんで泣くばかりであったが、一緒にいた兄たちもたぶんに同じ気持ちであったのだろう。
その日の夕方...食卓には変わり果てたエルが「犬汁」にと変わっていたことをかすかに覚えているが、
ショックに打ちひしがれている私達が、彼を食べれるわけなどない。
犬を食べなければならないほど貧しかった訳ではない、「薬用」として食べる習慣があったのだ。
当時はそれが当たり前といえば当たり前のことだったのだ。
友人の話はもっと悲惨だ。
夕食時に友人がその母に尋ねたとき。
「お母、ポチがいないけど、ポチはどこへ行ったかわからんか?」
「...ポチは今、アンタが食べてるさぁ」

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