
神宮工作所にて撮影 2009年
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前回に少し付け足しておきたい。僕がいた1984-1992年のイースト・ビレッジ……そんな育ちつつあったサブカルチャーな町で、クリエイターは何かしら自分の活動をしていれば文化だったと書いた。周りの仲間はと言えば、Aはヘアーサロンを開業し、ドラマーのSはクラブでバンド活動、オランダ人Mはプライベート・レストランを営業し、S子は日本食屋のマネージャーに出世し、僕は冬期限定コートチェックのささやかなバイトをやりながら絵を描いたし、他にもいろいろ。会社務めしてる人間は周りにはいなかった。
僕たちはそうだったが、その数年前から、そんな町を夢見て行動し、取り組んで来た先達が確実にいたことを忘れてはいけない。何もクリエーターに限らない、飲食業やファッションその他、そういう作り手を後援するパトロンだって……そんな人々が、今までに無かったおもしろい町の発展を夢想して実現したということ。New York らしいと言える、ロンドン、パリなどもかつてそんな時代があった。いや欧米に限らず、戦後の日本の各地方都市の復興や興りなんてのもそんなものだと思う。
何かを想い興す意識が大事だと思う。自分の商いや成功までじゃなく、その向うにもっと大事な物事があって、そこにアプローチすること。それは個人個人で違うことかもしれないから、明確には言いにくいし、例えば「僕はこうだ!」と言えなくもないけれど、やっぱり僕は、言葉にせずに「これでどうだ!」なんてカタチにして見せたい気持ちが強い。
イースト・ビレッジなんてダウンタウン・下町には富裕層は暮らさないから同じビールなどを買うにしても値が安い(現在は当時の3倍以上の物価)、飲食店にしてもそう。アップタウンとは物価が違うのだ。それと下町の人々は自家用車などは持てないからバスや地下鉄を多く利用する。洗濯機や乾燥機も横丁のランドリーを共有する、そしてそこで仕事をするのは中国や韓国からの移民で仕事にも授かることが出来る構図だ。今流行のシェアリングそのもので、一家に一台必要じゃないものは共有する、経済的にも合理的だ。公共交通機関や学校他の施設が整った場所に市民がまとまって住むことの効用も下町の機能かもしれない。
今の日本は残念だ、成長経済や自動車の氾濫の中でかつてそんな市街地や下町から人口が減り、とんでもない郊外などに人々や店が点在してしまった。必要の無い道路や、沢山の過剰な乗用車……歩きじゃなく、車でしか行けない郊外の田んぼの中の映画館や化け物のような銭湯、こんな血も通わないような施設……まるで、人間のためじゃ無く、自動車のための施設と文化に成り下がったような感しかしない。そしてそこには弛緩しきった表情の人間が集まる。生活が豊かになるってことはモノに振り回されることか、違うと思う。アドバンテージは僕たちの中にある……
どうも周りを見回すと「車人間」と「歩き人間」なんてのに分かれるような気もする。それらは価値観や精神構造まで違うように思う。話しが随分と脇道に入ってしまったようだ。これはきっとまた書かないと気がすまない時が来そうだから、その折にでも……今日は愚痴っぽくなってしまったな、ごめんなさい。とは言え削除せずにアップだ。戯言にならないようにしないと……拝読ありがとうございました。

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