2017/11/23

喪中はがきを作って思ったこと  

3月に母を亡くしたので、「今年は早めに喪中はがきを出さなければ」と、妻の助力を得て、専用のはがきを買ってもらい、一言思いを伝える文面を書いて印刷してもらった。

併せて、今年古希になったのを機に、年賀状だけで顔合わせがほとんどない方々には「来年より年賀状を失礼させていただきます」の一文も加えた。

初めて社会人をスタートした職場の上司たちから「お世話になった・知り合った方々に年賀状を出して、更にお付き合いを深めよう」と教わって以来、毎年毎年、枚数が増えてきて、定年退職時には800枚を超えるまでになっていた。

定年を機に絞り込もうと、毎年少しずつ減らしてきて、そこに新たにお付き合いを始めた人分を加えても、1年に100枚弱は減ってきて、今年はついに200枚近くにまで絞り込んだ。

これまでお世話になった方々、同じ職場で共に苦労しあった仲間の一人ひとりの顔を思い出しつつ、「もうこれからお会いする機会もほとんどないから」を理由にして、欠礼をお断りしたのである。

古希70歳は人生の一つの区切り、100歳時代に向かって新たな30年をプランして歩き出す大事なスタートラインである。

体力は落ち、友人たちも少しずつ減っていく一見寂しい時期になりそうだが、前だけを見て、夢実現人生を、愛妻と手を携えて一歩一歩歩いていこう。

喪中はがきを作って、新たな決意を固めた。
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2017/11/18

されどわれらが日々  

「本棚を眺めていて、久しぶりにこの本を読もうと思ってワクワクする」のは誰でもあることだろうか。先日、「本があちこちに溢れてしまっているので、年末も近づいおり、そろそろ片づけなければ」と考えつつ、リビングの本棚の奥をのぞき込んでいたら、懐かしい本に目が留まった。

「されどわれらが日々」柴田翔著、1964年に芥川賞を受賞して、累計186万部のベストセラーで、当時の若者達の多くが、著書のどこかの出来事や感情を自分に当てはめながら読んだ本である。

舞台は60年安保の前後、我々団塊の世代の10年前くらいの世代が、若者時代を過ごした時期である。戦後の混乱が落ち着いてきて、人々の生活が徐々に豊かさを持ち始めたこの頃は、特に東京はその最先進を走り、若者たちが自我を主張した時期だったのであろうか。

主人公は大学院生で、その恋人との「人生を生きる価値は何か?」の食い違いから起きる心と体の葛藤を、ドイツ文学者らしい深い文字で書き連ねられている。買ったのが学生時代。心の渇きを覚えていた学生の一人として、むさぼり読んで、社会人になって知り合った恋人に紹介していたことを、今頃になって思い出した。

古希70歳を迎えた今、「されどわれらが日々」の題名が、改めて心に響くのはなぜだろうか?懐かしさ?悔恨?それとも単なる邂逅?いや、今を充実して生きているからこそ、「されどわれらが日々」=1960年代後半から70年代の青春時代に、躊躇することなく真正面から向き合えるからだろう。

この本を読み終えて、「100歳になったら、30年前の古希時代を思い出して、『されどわれらが日々』を、次代や次々代の若者達に是非とも語りたい」と思い始めた。この古希人はまだまだ青春の真っただ中にいる。
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2017/11/13

子育ては親育て  

孫の七五三のお祝いで、1泊2日で東京を往復してきた。次男宅に着くと、それぞれに着物の着付けに出かけており、孫もすぐに羽織袴に着付けしてもらって、5歳直前とは思えないほど凛々しくなっていた。

大井町の近くにある神社にお参りして、白銀台の八芳園で記念撮影と食事会を行なった。さすがに人が多すぎる東京である。神社も結婚式場も慣れたもので、プロの写真師の子供の扱い方には感心させられたほどである。

嫁さんの両親には久しぶりの顔合わせであり、飲むほどに酔う程に、二人の結婚から現在までの足取りを双方の家からどう見えたのかを披露しあえたのは収穫であった。

お祝い会の話をほぼ終えた頃から、先方の親父と差しで日本酒を飲み合ったので、お互いにすっかり酔っぱらってしまい、息子も入れて3人で2次会にまで繰り出してしまった。

孫が生まれた時に「初孫を 抱く姿や 初々し 嫁は母親 息子が親父」と詠んだが、今回の七五三では「子育ては 親育てとぞ 言われおり 壮眞育ちて 両親育つ」と詠んだ。

すっかり母親らしくなった嫁、親父らしい貫禄さえ出てきた息子を見ながら、改めて「子育ては親育て」を実感したお祝い会であった。
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タグ: 七五三 子育て

2017/11/6

70代の生き方を確定した山旅  

3連休を使って50年来の親友と穂高岳の懐、涸沢までの山歩きに出かけてきた。晩秋の涸沢にダケカンバの紅葉を見ようとの思い付きだったが、冬の歩みが足早で、冬装備にアイゼンまで持参する羽目になってしまった。

新大阪でひかりに乗り、缶ビール・缶酎ハイ・ウィスキーの水割りの3缶を並べて、登山の安全を祈って乾杯。親友の後輩社長は久しぶりの二人登山に緊張気味だったが、二缶を空けて、名古屋駅から特急しなのに乗り込んだ頃から元気一杯になった。

飲むほどに酔う程に、これまで50年弱の友人付き合いを語り、現在の仕事課題、家庭やファミリー問題まで、尽きることない古希人の井戸端会議が延々と続いて、松本駅着。新島々まで松本電鉄。そこからアルピコバスで上高地。

3連休の初日の上高地は大賑わい。晴れ渡った青空に前穂・吊り尾根・奥穂・西穂の稜線を見て、観光客をかき分けながら明神へ。のんびりゆっくりの山歩き漫遊の旅は、梓川の清流をのぞき込み、明神岳を見上げて明神着、更にほどなく徳沢着。ホテルと化した徳沢園は部屋は2段個室風ベッド、料理はホテル並み。

2日目は、横尾を過ぎて本格的な山登りになる頃から本降りの雪になってきた。涸沢は雪の中。小屋営業の最終日にもかかわらず山好きが多数登って来ていて、山の話が花盛りになった。多彩な出会いもあった。

80歳の著名な山岳写真家には世界中の山や写真旅を披露いただき、20代の外資系IT技術者には真摯な学びの姿勢を、笑顔美人にはマニアックな山登りスタイルを、ユニークな中年カップルには破天荒な生き方を、等、学んだ。

3日目は雪を踏んで安全に下山した。明神で、いわな定食とビールで無事下山を乾杯。名古屋行きの特急の自由席待ちで、松本駅でまた飲んで、幸運にも座れた車中では、生き方論議の詰め版を、またまた延々と語り尽して、名古屋から京都にたどり着いた。

「思い立ってこそ感動があり、出会いがある」「挑戦は生きがいづくり」「出会いは百薬の長」、新たな言葉が次々に湧いてきている。
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2017/10/30

本人確認行為が異常に膨張してきた  

つい先日、自家用車を手放す時に住民登録表の添付を求められたり、そのために市役所に住民登録を取りに行っても、「何か本人確認するものはありませんか」と問われ始めた。その販売店で購入して、営業マンとも顔なじみなのに、「なぜ、車を売るのに本人確認がいるのだろうか?」と不信感にも似た懸念を感じてしまった。

そんな折も折、昨夕、佐川急便が宅配便を届けに来たので、印鑑を持って出たら、「本人確認ができる免許証かマイナンバーカードを見せてください」と求められた。自宅に配達して、そこの主人に本人確認するとは誰の指図なのだろうか?

届いた荷物の内容物表示を見たら、Yモバイルからのグレードアップキットであり、先方から一方的に送り付けてきたものなのに、「本人確認とは何と偉そうな!」と感じて「運転免許証は返納しました。マイナンバーカードの写真付きは作っていません」と応えた。

「この荷物は本人確認できなければ渡すなとの指示ですので、それではお渡しできません」というので、「それなら持って帰ってください」と追い返した。

改めて、「本人確認行為が異常に膨張してきた」ことを感じて、その理由を邪推してみた。

1.Yモバイルは元々Eモバイルをソフトバンクが買収したものであり、ソフトバンクがこれを機に、契約者を再確認したいとの意図があるのではないか?

2.マイナンバーカードの使用徹底が進まず、写真付きがほとんど行われないのに業を煮やした担当官庁が、企業や宅配業者に本人確認行為を求めて、その証明手段として、マイナンバーカードの写真付きの普及を進めたいとでも思っているのか?

何とも不可解で、不信感さえ持ち始めている。

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タグ: 本人確認



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