みなさんこれまで本当にありがとうございました
アナウンサーに
内定しました

東北地方の民放局アナウンサーとして、4月から入社する事になりました。
卒業論文も書いていて、留年するかどうしようかと言っていた時期なので、本当に最後の最後のチャンスでした。
まさに、9回2アウトからの
サヨナラ満塁ホームランでした。
これも、辛い時、落ち込んだ時に、応援してくださった皆様のおかげです。
これまで本当にありがとうございました。
と言っても、スタートは、これからです!
県民に愛されるキャラを目指したいですが、関西人の新参者が受け入れられるか心配ですし、いじめられないかなと不安です…。社会人になるということは、厳しいことがきっと待ち受けてそうですし、本当にスタートというのはこれからですね。
これは、何でしょうか?
そう、私が書いたエントリーシートです。
思い出せば1年半前、
キー局のセミナーが始まり、意気込んでいたのですが、全滅。
キーも書類は、すべて落ち、選考も1次面接敗退。
私の地元、関西まで、シートが半分も落ち、選考も1次面接敗退。
はっきり言って、本当に本当に泣きそうになりました。正直に言うと、悔しくて泣きました。
なんでここまでやったのに、書類や1次で落ちてしまうんだろうって…。
大学はアナウンサーなら、経済勉強したほうがいいよなと思って、経済学部に入りました。
また、入学後、放送研究会に入り、放送局でアルバイトをしました。
大学2年の頃から大阪のアナウンススクールへ。
そして、3年生には、夜行バスや高速バスで週1回東京や名古屋に行っていました。
これじゃただのアナウンス馬鹿かもしれませんが、それ以外にも、大学祭関連で実行委員として働き、ニュージーランドにも行きました。また、友人との旅行、ゼミナールにアルバイトにクラブ活動と休む暇もなく、毎日ぐるぐるぐるぐる動き回っていたと思います。
ここまでやったのに、なんで、落ちてしまうの???
自分には、向いていないんじゃないかと非常に落ち込み、しばらく立ち直る事ができませんでした。
去年の冬は、ストレスで動悸がして病院に通ってしまうほど、精神的にボロボロでした。
しかし、諦めませんでした。
そこから、昔からの夢であった公共放送に全力を注ぎ、民放なんてどうでもいい!公共放送だ!と思い、筆記対策や面接対策、エントリーシート対策を行いました。特に、エントリーシートはたくさんの人に見てもらい100時間近くかけて作成しました。
そして、いざ、面接へ!
結果は、2次面接落ち。公共放送に入りたいという高校時代からの夢が破れ、入りたい!という思いが強いだけではアナウンサーになることができないという現実を知りました。そして、これだけ売り手市場にも拘らず、不祥事による採用減で、私が受験した年が過去最低の採用人数だったことは運が悪かったとしか言いようがありません。採用減は、半数どころではないようです…。
この時には、泣くというよりか、ショックで呆然としてしまいました。
しかし、諦めませんでした。
公共放送が終わるまで、私は、ローカルを全く受験していませんでした。これが、大きな失敗だったと考えているのですが…。
そこで、焦点をローカルへと変え、ローカル局のアナとして全力を注ぐ事にしました。そしたら、今まで経験したこと無い最終面接へと初めて進むことができ、ひょっとしたら!?
と思いました。ところが、ここは、最終で敗退。
その後、次々選考に残り、4度最終面接を経験しました。この時期になったら、多くの所で残り数名まで進みました。にも拘らず、相次ぐ最終落ち。
そこで、7月〜9月の間、
マスコミ以外の受験を行い、就職活動を行いました。親から留年は許されていなかったため、私自身も就職を考えたのです。けれども、どうしても、心のどこかで、
アナウンサーという夢を諦めたくないという思いが強く、たくさんの会社を訪問しましたが、結局、選考途中でほとんど辞退してしまいました。
ここら辺で、留年や就職の事で、何度か実家に帰りましたし、電話をしました。
内容は、「もう1年だけ無理かな?」という相談です。
最初は、「もう1年やったって、なれる保障なんてない!」と家族は大反対だったんですが、さすがに、落ちても落ちてもこれでもか!これでもか!と頑張る自分を見て、かわいそうに感じたのか、もう1年だけ許してもらえることになりました。
また、ローカル試験へと再チャレンジをしました。6回目の最終面接。
卒業論文の提出時期を考えると、もうこれが現役最後!と思って臨んだ試験も、他の人に内定が出て、留年を覚悟しました。
しかし、ゼミナールの先生が、卒業論文を提出しても、ゼミを1年間休んだことにすれば、2月半ばまで受けられる裏技を提案してくださり、先方には、「受けられるかどうかわかりません」と保留にしてもらっていた試験を受けられるようになりました。
1月22日。
朝10時から始まった試験が、3時に終わり、その後、仲良くなった受験生と飲みに行き、カラオケにも行きました。その後、ホテルに戻った後、深夜の10時くらいでしょうか。
そうです。ちょうど、これを書く1週間前のこの時間に
ついに内定の電話をいただきました。
きっと、泣くだろうと思っていましたが、事実、全く泣きませんでした。きっと、もうこれまでたくさん落ちてしまったので「涙」というよりも、
「あっ。決まってしまったんだ。」という驚きで、非常に落ち着いていました。理由は、もう留年を覚悟して開き直っていたから、驚きも喜びも感じないくらい落ち着いていたのでしょう。
その後、親、先生、友人と数日に渡り、電話とメールをしました。私は、平然としているのに、親や友人や先生が泣いてくれました。それにも拘らず、本当に落ち着いて対応していました。実を言うと、今でもまだ実感がわかないのです。いつものように「
エントリーシートを書かないと!」という気持ちがあるのです。

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